東北大主導の希少難病「遠位型ミオパチー」治療薬が世界初承認 「新薬開発のモデルケースに」

手足の先から筋力が低下し、10年ほどで歩けなくなる希少難病の治療薬が、東北大主導の治験を経て世界で初めて承認された。国内の推定患者数は300~400人と極めて少なく、採算の取りにくい薬の開発は異例。研究チームが患者団体と一体となって手探りで道筋を付けた。研究代表者を務めた同大大学院医学系研究科の青木正志教授(神経内科)は「希少難病薬を大学主導で開発するモデルケースを示せた」と話す。(文化部・石沢成美)

患者会が協力、要望や署名活動も

 指定難病の「縁取り空胞を伴う遠位型ミオパチー」は、細胞を構成するシアル酸が不足して筋肉の細胞内に空胞ができ、全身の筋力が徐々に低下する。20~30代に発症し、10~15年後には車いす生活になる。

 青木教授らは2010年、シアル酸を初めて人に投与する第1段階の臨床試験を、医師主導治験として始めた。それまで、マウスの実験でシアル酸の投与による症状改善が確認されていたが、人への影響は分かっていなかった。有効性を証明する精密な試験を約15年にわたって繰り返し、今年3月に治療薬として承認された。

 希少疾病用医薬品(オーファンドラッグ)の研究開発には厚生労働省の助成が受けられる。しかし、特に患者数の少ない「ウルトラオーファン」と呼ばれる薬の開発は、国内ではほぼ前例がなかった。海外の製薬会社が「明確な効果が見られない」などとして撤退する中、粘り強く研究を継続できた理由を、青木教授は「患者団体の存在が大きかった」と振り返る。

 治験には患者の協力が欠かせない。通常は医師が患者を勧誘して集めるが、「神経内科の専門医でもほとんど(患者と)出会わない」(青木教授)という遠位型ミオパチーの場合は限界があったという。

 幸い、治療法開発に向け国への要望や署名活動を行ってきた患者会のNPO法人「PADM」(東京)の全面的な協力が得られた。全国の会員に情報を周知してもらい、治験には毎回約20人の参加があった。「確かに薬が効いた。諦めずに新薬を届けてほしい」との患者の声も、開発チームのモチベーションとなった。

 採算性を理由に製薬会社の多くが新薬製造への参入を見送る中、PADMのメンバーが中堅の「ノーベルファーマ」(東京)と交渉し、製造販売に向けた確約を取り付けた。

 青木教授は「やっとここまでたどり着いた。患者さんを待たせてしまい申し訳ない。今回の事例は、他の治療薬のより早い開発にもつながるだろう」と手応えを語る。

東北の患者歓迎「進行が防げるなら使いたい」

 治療薬の承認を受け、東北の遠位型ミオパチー患者にも喜びが広がっている。

 「病気の進行が防げるなら、本当にうれしい。ぜひ使ってみたい」。福島市の若林亮さん(39)は期待を寄せる。

 高校時代から、体の動かしにくさに悩まされていた。福島県立医大で診断を受けたのは20歳ごろ。「治療法はない」という医師の宣告に、がくぜんとした。

 歩いているとつまずくことが増え、真っすぐ立てなくなった。手を使う細かい作業も難しくなり、高校卒業後に勤めた工場は「迷惑をかけてしまう」と26歳で退職した。

 日常生活でできないことが増える中、治療薬の開発に少しでも貢献できないか考えた。治験は比較的、症状の軽い患者に限られるため断念したが、PADMが企画した難病指定を訴える署名活動に参加。2014年にヘルパーの支援を受けながらJR福島駅や郡山駅などで呼びかけ、福島県内で1000人以上の署名を集めた。

 そうした活動のかいあって、ミオパチーは15年に難病に指定された。しかし、治療薬の開発と薬の承認はなかなか見通しが立たず、「もう無理かもしれない」と諦めかけた時期もあったという。

 若林さんは「患者の少ない病気は見捨てられてきた」と訴える。「他にも薬がない難病はたくさんある。患者自身が働きかける前に、国が薬の開発に向けて動く社会になってほしい」

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