東日本大震災 被災地でパチンコ店がはやるワケ

 東日本大震災の被災地で、パチンコ店がいち早く復旧し、にぎわっているという。銀玉をはじく被災者の胸の内はいかなるものなのか。“自腹″の軍資金1万円を握りしめ、被災地のホールをのぞいた。【浦松丈二】
 ◇「暇つぶし」大負けしても日参 正月営業は前年比大幅プラス
 ◇ギャンブル依存症、深刻化 息抜きと区別つかず、対策困難
 宮城県石巻市の郊外。雪に覆われた街並みに、津波で1階部分が流された民家やシャッターが閉まったままの商店が点在する。津波で浸水し、約半年後に新装開店した大型パチンコ店を訪れた。平日にもかかわらず、開店前には約40人の列ができた。
 「雪の日にも来てあげたんだから今日は出してくれるよね?」。この日の最低気温は氷点下5度。毛糸の帽子を深くかぶって並んでいた年配の女性が若い男性店員に念を押した。店員とは顔見知りのようだ。
 「ご来店ありがとうございます」。午前9時。女性のアナウンスで店内に入る。どこに座ろうか、まごまごしていると全員がパチンコ台の前に座ってしまった。迷った末に最前列に並んでいた年配の男性の隣に座ってみた。
 ゲーム開始。玉が中央の穴に入ると画面の数字が回り、三つそろえば大当たりだ。約8000円分の玉が一気に吐き出されるという。連続で大当たりすることもあるらしい。ところが、1000円で遊べたのはほんの数分間。「次こそは」と打ち続けると、わずか30分間で1万円がなくなってしまった。
 我に返って店内を見渡すと300席以上ある台の8割が埋まっている。7、8人に1人が大当たりして、出玉の箱を何箱も積み上げていた。正午過ぎには、ほぼ満席になった。ずっと打ち続けているお年寄りの台の上にある表示を見ると「大当たり回数0回」。開店から3時間。30分1万円として推定6万円は負けている。娯楽は数分、その後は大バクチの世界だ。
 店を出てきた客数人に声をかけた。「勝ちましたか」と聞いても、「いやあ」「まあ」とあいまいな返事ばかり。一様に暗い表情だ。来店してきた中年女性は「負けた人は何も話さないでしょう。家族に内緒で来ている人も多いからね」と言う。「開店から並ぶ客は毎日来る人。借りてでも打ちに来る」と眉をひそめた。
 「あれから大当たり出ましたか」。午後1時すぎに店から出てきたお年寄りに声をかけた。開店時から隣に座っていたと告げるとバツの悪そうな顔になった。「きょうはダメだったなあ。11連チャン(連続11回大当たり)した日は少し勝ったっけねえ」と話すが、時期や金額ははっきり覚えていないという。
 大負けしても毎日のようにパチンコに通う理由を聞くと「震災前はあまりやってなかった。津波で息子を失い、家も流されて、ばあさんと2人で近くの仮設住宅に来てからは知り合いもいない、やることもないから、まあ、暇つぶしだ」と横を向いた。パチンコは若いころからやっているという。
 仙台市のパチンコ業界関係者は「娯楽の少ない石巻など沿岸部は、全国でもパチンコ店の多い地域。宮城県内のお正月営業は、各チェーンの1番店(営業成績トップの店舗)なら震災前の前年同期比でも大幅プラスになっていると思う。震災の影響が残る店もあるが、今年は全体でプラスに転じるのではないか」と予想する。
 石巻市で地域に密着した被災者支援を続ける「NPO石巻復興サポートセンター」の遠藤司さん(49)は「震災後、厳しい現実から逃れるためにパチンコ店を訪れ、深みにはまる人も多い。震災が言い訳になっている側面もあるでしょう。孤独を深めた一部の被災者がギャンブルやアルコールに依存していく悲劇が生まれています」と話す。
 長年、依存症の治療に取り組む田辺等・北海道立精神保健福祉センター所長(精神科医)によると、災害後、被災地でギャンブル依存症が増加することはよくあるという。「ギャンブル依存症やアルコール依存症、また、その傾向のある人は、被災生活が長期化すると症状の再燃や悪化のリスクが高くなる。本来、自分が能力を発揮すべき仕事や学業、家族関係が失われ、仮初めの生活をしている情けなさや将来への不安などが長く続くことで、アルコールやギャンブルを使いたい気持ちが高まる。また、治療のために通う当事者グループへの参加が、災害によって途切れてしまうと、リスクがさらに高まるからです」と指摘する。
 ギャンブル依存症とは、気分が晴れず、自尊心の失われた状態の時、賭け事に勝って刺激を受け、それが習慣化して、賭け事をやらないと気が済まない状態になること。生活資金などを投入してしまうため、問題化し、二度とやらないと誓っても、家族に隠れてまで続けることから「否認の病気」とも呼ばれる。
 どう治療するのか? 田辺所長は「まずは依存症を治療している病院や精神保健センターを訪れ、専門家に判定してもらうこと。本人と家族が依存症だと受け入れる作業から治療が始まります」と説明する。その後は「専門家のアドバイスを受けながら、依存症患者の当事者グループに根気よく通い、生活スタイルを切り替えていく。ギャンブルをしなければいいのでしょう、と本人が思うだけでは決して回復しない」と強調する。
 被災地では「保健師やボランティアが、依存症を判定するチェックリストや相談窓口のチラシを配るほか、生活が破綻した依存症患者やその家族が頼る債務相談窓口の司法書士らと依存症の専門家が連携していくことも有効」という。同県ではすでに司法書士のグループがギャンブル依存症の専門家を招き、学習会を開くなど対策を始めた。
 だが、被災者の心のケアに取り組む別のボランティアは「被災者と一口に言っても、生命保険や義援金を受け取った人から、仕事を失って何の補償もない人まで懐具合はさまざまです。パチンコをしていたとしても適度な範囲なら息抜き。ボランティアの立場で、被災者のお金の使途を聞き出すことは困難です」と、難しさを説明する。
 午後7時。同じ店を再び訪れると店内は順番待ちする人まで出ていた。中学生ぐらいの女の子が、誰かを捜している。出玉の箱を5箱積み上げていた女性の所へ。短く言葉を交わすと女性が1000円札を手渡した。女の子の顔が一瞬、悲しそうにゆがんだ。
 店を出た女の子に追いついて「お母さんなの?」と声をかけると、うなずいた。「1000円もらったよね?」「『隣でご飯を食べておいで』って。あそこのレストランに行くところ」「お母さんは毎日パチンコに来るの?」「『パートに行く』と出ていくのだけれど……」。最後は消え入りそうな声だった。
 誰かを責めて解決することはないだろう。被災地の闇をパチンコ店の青白いネオンが寒々と照らしていた。
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