東日本大震災からまもなく11年…葛藤するテレビ報道現場の「生の声」

  1. 現場に通い続ける「実直なテレビマンたち」の声
  2. 「コロナ禍が与えた影響」の大きさ
    1. 「これまで毎年被災者に会いに行ったり取材に行ったりしてきたのですが、現在はコロナによりなかなか越境の許可が出ず現地に行かせてもらえません。
    2. 電話やSNSもありますがやはり自分の目で見て肌で感じることが伝える上では重要なので今は歯痒い思いをしています」(東京キー局 アナウンサー)
    3. 「11年が経って、今年も3月11日前後では伝えるのでしょうが、それ以外はほとんど東日本大震災を扱うことはないのが現実だと思います。コロナの影響をその理由に挙げる人が多いでしょうが、実はそれだけではないと考えます。
    4. 確かにコロナの感染拡大によって“取材自粛”で現地に行くことは難しくなりましたし、現地に行けないとなかなか放送に結びつかないのも事実です。しかし、この2年間でZoomインタビューや遠隔取材など、様々な新しい取材や放送のしかたも生み出されています。
    5. 民間企業である以上収益や採算は大切だと思うのですが、番組や会社はあまりサポートしてくれなくなりました。最近ちょっと諦めモードというか、モチベーションが局全体で下がっているように感じます」(東京キー局 カメラマン)
  3. 冷遇される「視聴率がとれない震災取材」
    1. 「“視聴率”の問題も重くのし掛かります。番組のプロデューサーによっては『数字がとれないから』という理由で内容が縮小されてしまうことも過去にありました。“伝える意義”を理解していても我々現場レベルの思いと経営レベルの感覚にはズレがあるような気がします。
    2. あと取材する対象を考える時に東日本大震災は特に範囲が広すぎるので取材したくてもし切れない悔しさがあります。とにかくいろんな方を、いろんな現場を取材し続けるしかないのかなと思っています」(東京キー局 アナウンサー)
    3. 「震災のことをもう忘れたい。その一方で、震災の教訓を伝えていきたい。それが被災された方々から聞こえてくる言葉です。10年が過ぎたからこそ語れるようになった方もいるにもかかわらず、それをテレビで放送する枠は少なくなるばかり。
    4. 数字がとれるかどうかではなく、人々に必要な情報として伝えていくことでテレビがメディアとしての信頼を得られるのに・・・長くテレビに携わってきて思うことです。作り手として、テレビというメディアに期待するより、自分たちでどう作り、どう伝えていくかを考え、実践していくことが腕の見せ所なんだと自分に言い聞かせています」(東京 制作会社ディレクター)
    5. 「10年が経って、東日本大震災や福島原発に関する関心は薄くなっていますよね。
    6. どうしても視聴率がとれないという現実もある中で、放送が減る、さらに関心が薄まるという負のスパイラルに入っていますね。
    7. 311自体への関心は薄まっていますが、他の災害が、地震、津波、豪雨、噴火など色々多いので、災害全般への関心は高まっているというところでしょうか?地震・津波の訓練はずっと続けています。さらに最近は、NHKさんを含めて在京6局のアナウンサーがオンラインで集まり、減災に向けて話し合いをする勉強会も行われています」(東京キー局 アナウンサー)
    8. 「今や原発ネタはほとんど通りませんね。“自然エネルギーを増やす試み”みたいなソフトなアプローチではあり得ないこともないですが…」(BS局 ディレクター)
  4. 「311だけ」の報道で本当に良いのか
    1. 「現場で出会う人の中には“忘れたいこともある”という人もいるのに、東京から発せられる報道はいつも“忘れてはいけません”という内容になります。誰の立場に立った報道なのかわかりません。そして、311になると悲しい話ばかりを悲しい雰囲気の音楽と共に流す特集が多いですが、もうそういうことはやめた方がいいと思います。
    2. 現場にカメラで入ったからといって、亡くなった方がかえってくるわけではありません。取材のしかたひとつで、被災された方々を傷つけてしまうことにもなります。そんな中でカメラを回す意義を考えてしまいます。『結局私たちはテレビ局のVTRの素材でしかないんだよね』と言っていた被災者の方の言葉が心に残っています。
    3. 誰のため、何のための取材なのかよく考えなければ取材する意味がないんです」(東京 制作会社カメラマン)
    4. 「震災後に入社した私たちは先輩から『被災地以外の人は節目節目と言うけれど、被災者には節目はない。震災後の延長線が続いているだけだ』と教わってきました。取材の心構えから気をつけろということです。
    5. それが覆される出来事がありました。去年の311、「10年の節目」の日です。私はある市の追悼式を取材していました。参列している何百人全てが、大切な誰かを突然失ったのだと思うと、それだけで心が苦しくなる思いでした。式が終わった後、会場から出る方へインタビューしていると、涙をタオルで拭う女性がいました。
    6. 声をかけるととつとつと語ってくれました。一緒に避難していた夫と津波に飲み込まれ、その手を離してしまったという女性でした。
    7. 『今まで10年一度も泣けなかったけど、はじめて涙が出た。10年長かったわぁ。』
    8. 私は、節目は一区切りという意味だと思っていました。ですが節目は、生き残った人たちががむしゃらに歩んできた日々をふと振り返る、唯一の機会なのです。
    9. 県内では今も毎日のように被災地のニュースが放送されます。週に一度、10分弱の企画の放送もあります。被災地から遠く離れた全国の方に手触りのある声を届けることは、なかなか難しいでしょう。
    10. ですが節目だからこそ、その背後に続く被災者が歩んできた長い道のりに思いを寄せる日であってほしい。そういう報道がキー局でもされればいいなと、願ってやみません」
    11. (岩手 民放記者)

現場に通い続ける「実直なテレビマンたち」の声

一度大災害の現場を見てしまったテレビマンは誰でも、「一生この現場を取材し続けよう」と誓う。しかし大部分は、次々に発生する別のニュースに飲まれて、その思いを忘れてしまう。

だが、そうした誓いを忘れずに、現場に通い続けるテレビマンもまた多い。

まもなく東日本大震災から11年。いまでも実直に自分の「誓い」を実行し続けているテレビマンを多数私は知っている。そうした実直なテレビマンたちに「今の思い」を聞いてみた。いま現在の「テレビ報道の現場の、311に対する思いと葛藤」とは何なのか。彼らの声を聞いてみてほしい。

ざっと総括すると、彼ら「実直なテレビマンたち」の生の声からは、「伝え続けたい現場のテレビマンたちと、それを望まぬ現場に行かない上層部の人たち」の葛藤が見えてくると私は思う。「震災から11年」という時間は、ちょうどそうした「局内におけるテレビマンたちの温度差」を生むような長さなのかもしれない。

「コロナ禍が与えた影響」の大きさ

東日本大震災の現場に行きたいが、新型コロナウイルスの影響で現場に行けない。そうした声は、多くのテレビマンたちから聞かれた。

「これまで毎年被災者に会いに行ったり取材に行ったりしてきたのですが、現在はコロナによりなかなか越境の許可が出ず現地に行かせてもらえません。

電話やSNSもありますがやはり自分の目で見て肌で感じることが伝える上では重要なので今は歯痒い思いをしています」(東京キー局 アナウンサー)

本来なら「311特番」の準備や取材をしなければならない時期が、オミクロン株による第6波とちょうど重なってしまった。やむなく今年は取材規模が縮小されているようだ。しかし、そのことについてこんな指摘もある。

「11年が経って、今年も3月11日前後では伝えるのでしょうが、それ以外はほとんど東日本大震災を扱うことはないのが現実だと思います。コロナの影響をその理由に挙げる人が多いでしょうが、実はそれだけではないと考えます。

確かにコロナの感染拡大によって“取材自粛”で現地に行くことは難しくなりましたし、現地に行けないとなかなか放送に結びつかないのも事実です。しかし、この2年間でZoomインタビューや遠隔取材など、様々な新しい取材や放送のしかたも生み出されています。

民間企業である以上収益や採算は大切だと思うのですが、番組や会社はあまりサポートしてくれなくなりました。最近ちょっと諦めモードというか、モチベーションが局全体で下がっているように感じます」(東京キー局 カメラマン)

(写真:ロイター/アフロ)

冷遇される「視聴率がとれない震災取材」

このカメラマンのように、「最近会社が東日本大震災関連の取材に冷たい」と感じているテレビマンは多いようだ。

「“視聴率”の問題も重くのし掛かります。番組のプロデューサーによっては『数字がとれないから』という理由で内容が縮小されてしまうことも過去にありました。“伝える意義”を理解していても我々現場レベルの思いと経営レベルの感覚にはズレがあるような気がします。

あと取材する対象を考える時に東日本大震災は特に範囲が広すぎるので取材したくてもし切れない悔しさがあります。とにかくいろんな方を、いろんな現場を取材し続けるしかないのかなと思っています」(東京キー局 アナウンサー)

「震災のことをもう忘れたい。その一方で、震災の教訓を伝えていきたい。それが被災された方々から聞こえてくる言葉です。10年が過ぎたからこそ語れるようになった方もいるにもかかわらず、それをテレビで放送する枠は少なくなるばかり。

数字がとれるかどうかではなく、人々に必要な情報として伝えていくことでテレビがメディアとしての信頼を得られるのに・・・長くテレビに携わってきて思うことです。作り手として、テレビというメディアに期待するより、自分たちでどう作り、どう伝えていくかを考え、実践していくことが腕の見せ所なんだと自分に言い聞かせています」(東京 制作会社ディレクター)

「10年が経って、東日本大震災や福島原発に関する関心は薄くなっていますよね。

どうしても視聴率がとれないという現実もある中で、放送が減る、さらに関心が薄まるという負のスパイラルに入っていますね。

311自体への関心は薄まっていますが、他の災害が、地震、津波、豪雨、噴火など色々多いので、災害全般への関心は高まっているというところでしょうか?地震・津波の訓練はずっと続けています。さらに最近は、NHKさんを含めて在京6局のアナウンサーがオンラインで集まり、減災に向けて話し合いをする勉強会も行われています」(東京キー局 アナウンサー)

「今や原発ネタはほとんど通りませんね。“自然エネルギーを増やす試み”みたいなソフトなアプローチではあり得ないこともないですが…」(BS局 ディレクター)

現在、テレビ局の財政状況は非常に厳しい。各局とも、番組制作予算はできるだけゴールデンタイムなどのドラマやバラエティに投下したいのが本音だ。報道系の番組には予算削減の大きなプレッシャーがかかっている。私と同年代の民放報道局幹部から「現状ではニュース番組をなんとか維持するだけでもギリギリ。取材などにかけるお金は削減せざるを得ない」という声も聞いたことがある。

しかし「視聴率がとれない」という壁に阻まれて、やる気のあるテレビマンたちの取材が阻害されているのは、非常に残念だ。しかも、今回回答を寄せてくれたほぼ全てのテレビマンたちがその点を指摘しているのを、ぜひテレビ局の偉い人たちは受け止めて改善してほしいものだ。(写真:西村尚己/アフロ)

「311だけ」の報道で本当に良いのか

視聴率の低下もあって、「東日本大震災を扱う放送枠がどんどん減っている」問題とある意味対をなすが、その根底はひょっとしたら同じでは無いかと思うのが「311前後になると一斉に各局が東日本大震災のことを放送し始める」という問題だ。

各局とも毎年3月11日が近づくと、東日本大震災の特番を大々的に放送するし、今年もそのようだ。しかし、最初の方で紹介した「今年は3月11日前後では伝えるのでしょうが、それ以外はほとんど東日本大震災を扱うことはないのが現実」という声のように、「311に大々的に放送することで、それ以外の季節にはまったく取り上げない」ということであるなら、それで良いのだろうか。「311特番のあり方」についてテレビマンたちから疑問の声が寄せられている。

「現場で出会う人の中には“忘れたいこともある”という人もいるのに、東京から発せられる報道はいつも“忘れてはいけません”という内容になります。誰の立場に立った報道なのかわかりません。そして、311になると悲しい話ばかりを悲しい雰囲気の音楽と共に流す特集が多いですが、もうそういうことはやめた方がいいと思います。

現場にカメラで入ったからといって、亡くなった方がかえってくるわけではありません。取材のしかたひとつで、被災された方々を傷つけてしまうことにもなります。そんな中でカメラを回す意義を考えてしまいます。『結局私たちはテレビ局のVTRの素材でしかないんだよね』と言っていた被災者の方の言葉が心に残っています。

誰のため、何のための取材なのかよく考えなければ取材する意味がないんです」(東京 制作会社カメラマン)

「誰のための取材なのか」という問いは、実はかなりテレビの震災報道の本質を突いていると私は思う。私もかつて阪神淡路大震災の取材で現地に入った時、「この大地震がもし東京で起きていたら」という内容で特集を組もうとした番組デスクと喧嘩をしたことがある。「あまり神戸ローカルの話をされても、東京の視聴者には何もわからない。もっと普遍性のあることを中継で話すように」と東京の上司に言われた時には、心の底からその上司を軽蔑した。

被災地の人たち目線で、被災地の現状を放送するのか。それとも、被災地以外の人が「教訓を得るために」被災地のことを放送するのか。確かに、冷たい言い方をすれば被災地以外の人にとって被災地の現状はある意味「他人事」だ。そこをどういう目線で報道するのかを我々テレビ報道に関わる者は考え続けなければならない。被災地の放送局の若手記者が、こんなことを書いてくれた。

「震災後に入社した私たちは先輩から『被災地以外の人は節目節目と言うけれど、被災者には節目はない。震災後の延長線が続いているだけだ』と教わってきました。取材の心構えから気をつけろということです。

それが覆される出来事がありました。去年の311、「10年の節目」の日です。私はある市の追悼式を取材していました。参列している何百人全てが、大切な誰かを突然失ったのだと思うと、それだけで心が苦しくなる思いでした。式が終わった後、会場から出る方へインタビューしていると、涙をタオルで拭う女性がいました。

声をかけるととつとつと語ってくれました。一緒に避難していた夫と津波に飲み込まれ、その手を離してしまったという女性でした。

『今まで10年一度も泣けなかったけど、はじめて涙が出た。10年長かったわぁ。』

私は、節目は一区切りという意味だと思っていました。ですが節目は、生き残った人たちががむしゃらに歩んできた日々をふと振り返る、唯一の機会なのです。

県内では今も毎日のように被災地のニュースが放送されます。週に一度、10分弱の企画の放送もあります。被災地から遠く離れた全国の方に手触りのある声を届けることは、なかなか難しいでしょう。

ですが節目だからこそ、その背後に続く被災者が歩んできた長い道のりに思いを寄せる日であってほしい。そういう報道がキー局でもされればいいなと、願ってやみません」

(岩手 民放記者)

私はテレビは、大災害の前では実は無力だと思う。そして、テレビの震災報道のあるべき姿は、私には想像もつかない。

しかし、少なくともテレビマンたちがこれからも現場に行き続け、悩み続けることが、テレビの災害報道にとって一番大切なのではないか、と確信している。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

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