3万8139人が古里に戻れず
東日本大震災は11日、発生から11年になる。第2期復興・創生期間(2021~25年度)に入り岩手、宮城、福島3県では防潮堤や災害公営住宅のハード整備をほぼ終えた。一方、東京電力福島第1原発事故の避難者を中心に3万8139人が古里に戻れていない。残された課題に向き合いつつ、関連死を含め約2万2200人の失われた命の鎮魂を祈る一日になる。
警察庁によると昨年3月1日以降、1人の遺体が犠牲者と判明。死者は1万5900人、行方不明者は3人減って2523人となった。避難生活による持病の悪化などが原因の関連死は、河北新報社の2月末時点の集計で3786人に上る。
昨年は三陸沿岸道(仙台市-八戸市、359キロ)など総延長570キロの復興道路・復興支援道路が全線開通。3県の伝承施設もそろい、災禍の記憶の継承は年々重みを増す。
気仙沼市本吉町の大谷海岸は、住民と行政が知恵を出して防潮堤の建設位置を陸側に後退させ、地域の宝の砂浜を守った。昨夏、11年ぶりに海水浴場が復活。震災後生まれの子どもたちが海と触れ合った。
「未来ある子どもたちが健やかに成長できるように見守りたい。復興事業が減り、経済的に苦しむ家庭もある」。震災直後から地域児童を支える気仙沼あそびーばーの会代表の鈴木美和子さん(73)は話す。
真新しい街並みの陰に癒えない心の傷を抱えた人もいる。孤立しがちな状況に新型コロナウイルス禍が追い打ちを掛ける。誰一人取り残さない復興を目指し、被災地に生きる人々は12年目へと歩み出す。