東日本大震災2年 癒えずとも前へ 東北 悼む 進む

 命が、わが家が失われた地に立ち、目を閉じる。めぐってきた2度目の節目に祈り、「もう一度会いたい」と願う。
 東日本大震災から2年の11日、亡き人への鎮魂の思いが東北各地を包んだ。大震災の爪痕は、被災地と人々の心に深く刻まれたままにある。
 死者は震災関連死も含めて1万8185人に上り、依然として2668人の行方が分からない。
 生き延びた人々も住み慣れた場所を追われ、732日もの時が過ぎた。いまだに31万5000人が仮設住宅などで避難生活を送る。福島第1原発事故の避難者は、帰郷の見通しが立たない。
 生活再建は遅れ、長期に及ぶ「仮」の暮らしが続く。集団移転やまちづくりは緒に就いたばかりだ。
 大震災の教訓をどう次代に伝え、どう生かすのか。次への備えも欠かせない。
 忘れない、忘れてはならないあの日から2年。手を合わせ、祈った人々は未来への歩みも誓う。きっと訪れる復興の春に希望を抱きながら。
 岩手、宮城、福島各県では11日、自治体が東日本大震災の追悼式を開き、犠牲者に鎮魂の祈りをささげた。参列者は2年たっても癒えない悲しみに向き合い、古里を再生し震災の教訓を語り継いでいくことを誓った。
 宮城県内では沿岸14市町が式典を行った。女川町では約1000人が参列。祖父と母、めいが津波の犠牲になった高校3年阿部真奈さん(18)が遺族代表で祭壇の前に立ち、「家族を亡くした後悔があるから、経験を後世に伝えて悲劇を繰り返さないようにしたい」と訴えた。
 村井嘉浩知事は気仙沼市の追悼式で「古里宮城を次の世代に引き継ぐため、県民と心を一つにして復興にまい進することを犠牲になった人のみ霊に固く誓う」と述べた。
 岩手県と大槌町の合同追悼式は同町であり、遺族や達増拓也知事ら約800人が参列した。母親と妻、長男を亡くした大槌町消防団長の煙山佳成さん(74)が遺族を代表し「なぜ『早く逃げろ』と強く言わなかったのか、今でも悔いが残る」と振り返った。
 福島県浪江町は、福島第1原発事故で町に立ち入りができないため、役場移転先の二本松市で津波犠牲者の追悼式を行った。祖母を失い、福島市で避難生活を送る高校1年門馬沙也加さん(16)は「ばあちゃん、頑張るから天国で見ていてくださいね」と祭壇に語り掛けた。

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