松陰の短刀、本物だった 前橋文学館で31日から一般公開

前橋市は28日、明治期に日米生糸貿易で活躍した新井領一郎の子孫が同市に対し、幕末の志士、吉田松陰の形見の短刀として寄託した刀が本物だったとする調査結果を発表した。短刀は約140年前に渡米した新井家が代々保管していた。前橋文学館で31日〜5月7日、一般公開される。 (川田篤志)

同市は昨年八月、領一郎のひ孫で米・カリフォルニア州在住のティム・新井さん(57)から短刀を寄託され、調査していた。

調査した同市参事で近現代史研究者の手島仁さんによると、この短刀についての記述が確認できるのは、駐日大使を務めたエドウィン・ライシャワーの妻として知られる新井の孫、ハル・松方・ライシャワーが領一郎の生涯などを記した著書「絹と武士」だけ。ハル自身が領一郎の妻・田鶴(たづ)から聞いた短刀のエピソードなどをまとめ、一九八〇年代に日米で出版された。

同著で短刀は一八七六(明治九)年、松陰の妹で群馬県令・楫取(かとり)素彦の妻の寿(ひさ)が、国産生糸の直輸出に向けた販路開拓のため渡米する領一郎に託したとする。

寿は、西洋文明を学ぼうと渡米を試みたが失敗して亡くなった松陰の魂が短刀に込められており「その魂は兄の夢であった太平洋を越えることによってのみ安らかに眠ることができる」と語ったという。

短刀は鞘(さや)と柄(つか)を合わせた長さが約四十二センチで、同著の「三十五センチぐらい」とほぼ一致した。刀剣専門家による今回の鑑定で、刀身部分は室町時代に造られたやりを改造したものとされ、幕末にやりを短刀にすることがはやったとされる史実や、同著の「一五、六世紀に作られたもの」とも符号。漆塗りの鞘や柄に施された金細工の獅子も記述と食い違いはなかった。

ただ刀に彫られていた刀工の名前は「国益」で、同著の「国富」ではなかった。市はティムさん宅に残されている刀四本のうち、刀工名に「国」が入っているのはこの短刀のみだった点など「総合的に見て」本物と判断した。

二十八日の会見で、ティムさんは「松陰を知っている若者は少なく、短刀を見ることで何か感じてもらえたら」と語った。同席した楫取のやしゃごの能彦(よしひこ)さん(70)は、短刀が約百四十年ぶりに日本に戻った縁に感謝した。

前橋文学館での無料の一般公開に合わせ、三十一日には同館でティムさんらが講演する。水曜休館。今後、松陰ゆかりの山口県萩市でも展示される予定。

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