梅雨に思う…「無菌社会」への警鐘

【from Editor】
 梅雨。市民生活ではジメジメ感が不機嫌な気分にもつながる。梅雨の語源のひとつとされるものに「最もカビが生えやすい時期-黴雨(ばいう)」とあるように、カビだけではなく、いろいろな細菌が繁殖する時期でもある。「食中毒に注意」は昔からの忠告。
 住環境が随分良くなり、家屋やビルの中にいれば快適に過ごせるようになった。家庭用薬剤が発達したせいだろうが、カビもあまり見ない。それどころか、雑菌を運搬するハエやゴキブリなどこの時期に動きが活発になる家庭内の虫たちも目にすることがなくなった。抗菌剤も多く使われ、都会のケースと限ってみても、いまや世は「無菌社会」だ。
 さきごろ亡くなった国際的な免疫学者、多田富雄さんはエッセー「落葉隻語 ことばのかたみ」(青土社)で、この無菌社会に警鐘を鳴らしていた。
 「近頃、日本人には過剰な無菌思考がある。もともと私たちの周囲は黴菌だらけである。黴(かび)や細菌、総称して黴菌と人類は共存しながら生きてきた」
 「口から入る日常の雑菌に曝(さら)されて腸管の免疫が強化され、下痢を起こす黴菌に抵抗力を獲得する」「子供がたまに発熱したり下痢したりするのは、黴菌との戦い方を習得しているからである。学習の場は主に腸管である。成長の時期にここで戦い方を学習しないと、雑菌に対する抵抗力が弱くなり、逆にアレルギーを起こしやすい体質になる」-。無菌社会へのきっぱりとした批判である。
 同じような問題意識の対談集を読んだ。「虫眼とアニ眼」(新潮文庫)で、解剖学者の養老孟司さんとアニメ映画監督の宮崎駿さんの対談。現代の若者について、養老さんが「東大の医学部に勤めてて、完全に子どもたちが変わったと一番に感じた変化は、包丁を持つようにメスを握る生徒を見たときです」といえば、宮崎さんは「生まれてこの方、(自動)鉛筆削り器だからナイフは使えない。箱の貼り合わせはホチキスかセロハンテープ」と応じる。
 工夫というものがほとんどない。当座の困難を手先で切り抜ける方法を備えずに、なにも持たずに出てくるといい、社会で「生きていくための武装に欠けている」と日本の将来を心配する。「精神の無菌社会」の広がりだ。
 間もなく参院選。政治の世代交代が進むにしても心身の無菌環境で育った候補者がどれだけいるのか。ひとつの目線としたい。(編集委員 小林隆太郎)

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