民主主義は大衆が選んだ指導者によって死ぬ

米国のバラク・オバマ前大統領が2018年の1年間に読んだ本として挙げている29冊の中に『How Democracies Die』(民主主義はいかにして死すか)がある。

 ハーバード大学のスティーブン・レビツキーとダニエル・ジブラット両教授が著した本で、2019年1月にはペーパーバック版も出た。

 著者たちはズバリこう言い切っている。

 「民主主義は将軍たちの手によって死ぬのではなく、大衆が選んだ指導者たちの手によって死ぬ」

How Democracies Die by Steven Levitsky and Daniel Ziblatt Crown. 2018

© Japan Business Press Co., Ltd. 提供 How Democracies Die by Steven Levitsky and Daniel Ziblatt Crown. 2018

 大衆によって選ばれた指導者は権威的な独裁者になり得る。その要因は4つある。

 1つ目は、独裁者は民主的な制度・法令・慣例を拒絶し、却下する。

 2つ目は、独裁者は政敵、反対者の合法性を否定する。

 3つ目は、独裁者は特定の暴力を大目に見たり、けしかけたりする。

 4つ目は、市民的自由(思想・言論・集会の自由)を削ごうとする。

 著者たちは現代社会の政治にこの4つのカテゴリーを当てはめてこう指摘する。

権威主義的指導者4カテゴリーをすべて備える大統領

 「リチャード・ニクソン(第37代大統領)を除けば、この4つの要因のうち1つとして実行した米歴代大統領はいない。ところがドナルド・トランプ(第45代大統領)はこの4つのすべてに当てはまる」

 つまりトランプ大統領についてはこういうことが言えるというのだ。

 トランプ大統領は、オバマ第44代大統領が決定し、議会が承認したオバマケア(医療保険制度改革)をはじめ移民政策、地球温暖化防止のためのパリ協定、環太平洋連携協定などの外交的約束を次々と一方的に破棄。

 いまだに「政敵」ヒラリー・クリントン元国務長官を訴追しようと必死になっている。

 さらにはネオナチスの反社会的行動を黙認するだけでなく、その支持者を周辺に起用してきた。

 市民的自由が脅かされているのを見てないふりをしている。

 著者たちは、こうした「トランプ政治」の兆候は、実はオバマ第2期政権後半にすでに表れていたと見ている。

 「保守派のアントニン・スカリア最高裁判事が急逝した2016年、オバマ大統領はその後継に中道リベラル派のメリック・ガーランド・コロンビア特別区連邦控訴裁判事を指名した」

 「これに対して上院共和党は米政治史上これまでになかったような行動に出た。ガーランド氏の指名承認するための審議どころか聴聞会すら拒否したのだ」

 「米民主主義を守るのは立法、司法、行政だ。その1つ、立法が行政が指名した司法に仕える最高裁判事候補を承認するか否かの重要な役割を放棄したのだ」

 「この時、民主主義の根幹がすでに腐り始めていたのだ。これは当今の民主主義に対する恐るべき脅威だった」

民主主義の基盤は「相互的寛容」と「制度上の自制」

 本書の著者たちはさらに続ける。

 「民主主義の基盤を補強するのは、2つのノーム(規範)、つまり暗黙のルール、しきたりだ」

 「1つは、自分の意見に反対する者に対する配慮だ。『相互的寛容さ』(Mutual toleration)だ。もう一つは『制度上の自制』(Institutional forbearance)だ」

 つまりこういうことだ。

 「短期的にはあなたにとっては不都合かもしれないが、長期的には良いかもしれない。逆の私にとって短期的には好都合だが、長い目でみれば良くないかもしれない」

 「なぜなら私は未来永劫政権の座にあるわけではない。あなたが取って代わる時が来る。それが民主主義だ。我々の政策論議に必要なのは寛容さと自制だ」

 著者たちによると、こうした共和党の「規範破り」はトランプ政権誕生で一気に加速したという」

 「トランプ氏の選挙公約に盛り込まれた箇所の多くは自らの個人的な恨みを晴らす言葉で散らばられていた」

 「トランプ氏は衝動的な感情を自らコントロールできない。自らの言動をコントロールできなければ、民主主義を継続的に遂行する当事者にはなり得ない」

 「トランプ氏が米民主主義の死を招いているとまで言わない。だが、トランプ氏は米民主主義を死に至らしめる過程を加速させていることだけは間違いない」

 「彼は『3軍最高司令官』(Commander-in-chief)であると同時に『政治規範ぶち壊し屋』(Norm-shredderd-in-chief)でもある。今、米国の政治は、『ガードレールなき民主主義』なのだ」

プーチン、エルドアン、アドゥロ、モディも同列

 著者たちは、世界にも目を向ける。

 民主主義国家を自負する国の中にトランプ氏と同じような権威主義的な指導者はいないだろうか。民主主義の危機を迎えているのは国はあるのか。

 著者たちによれば、「民主主義国家」という旗を掲げながら、自らの政治に反対する野党や反対勢力を「不穏分子」として投獄したり、自らの政策を批判するメディアや言論人を弾圧したり、共同謀議、国家転覆だとレッテルを張り、沈黙させている指導者は世界にうじゃうじゃいるというのだ。

(むろん、共産主義独裁の中国や北朝鮮などは論外である)

 著者たちが指摘する「民主主義国家と称する国家」を牛耳っている権威主義的指導者は以下の通りだ。

 ロシアのウラジミール・プーチン大統領。トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領、ハンガリーのオルバン・ビクトル首相、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領、インドのナレンドラ・モディ首相・・・・。

 これら指導者を選んだのは有権者である大衆だ。

 その多くは自分たちに苦しい生活を強いている張本人は「保守反動」だと確信していた。そして選挙では「革新」に票を投じた。

 ところが政権を取った「革新」こそが今、大衆を苦しめている。「言論の自由」を奪い、弾圧している。政府批判をする反対勢力を投獄している。

 中には反政府分子を殺害するよう「指示」したとされる指導者すらいる。共産党一党独裁の中国や北朝鮮ならいざ知らず、一応「民主主義国家」を標榜している国々だ。

勉強会で「権威主義的指導者」と名指しされた文在寅

 筆者が定期的に参加している学者・ジャーナリストの少人数の勉強会がある。その席上、本書が取り上げられた。

 出席者の1人は、民主主義国家と自称し、米国の重要な同盟国であるサウジアラビアを取り上げた。

 昨年10月、サウジアラビア政府を批判していたジャマル・カショギ記者が殺害された背景には、サウジアラビアの最高権力者、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子がいるのではないか、との情報がもっぱらだ。

 「サルマン皇太子もプーチン氏やエルドアン氏と同じ穴のムジナだ」というわけだ。

 もう1人、東アジア問題に精通する米主要シンクタンクの研究員は「韓国の文在寅大統領はどうだろう」と言い出した。

 「『民主主義の敵』は必ずしも保守反動ばかりではない。左翼、極左反動も独裁化すれば『民主主義の敵』になり得る。プーチンはその典型だ」

 「韓国の文在寅(大統領)も左翼集団を基盤にのし上がった政治家だ」

 「確かに前任者の朴槿恵(前大統領)は個人的な不正や不正腐敗などで追放され、投獄された。だがそれによって朴槿恵の成し遂げた政治をすべて否定する権限などないはずだ」

 「それは、トランプ大統領がオバマ前大統領のやってきたことをすべて破棄すると似ているではないのか」

 「その錦の御旗は『民族』『自主』『正義』そして『反日』。韓国人は何人でも『反日』を無条件に受け入れなければ生きていけないような土壌が出来上がってしまった」

 「そのあおりを受けて、日本との慰安婦問題では『最終的かつ不可逆的に解決した』日韓合意といった外交上の約束事まで破棄した」

 「それを司法は支持するかような判決を次々と出している。韓国の司法は、今や文在寅と同じ思想を持つ同じ世代の『革新』分子に牛耳られている」

 「本書の著者たちが挙げている権威主義的指導者の条件を満たす4つのカテゴリーうち、1と2は適用されるんじゃないか」

「自分たちだけが世界のすべてと考える」韓国のネオ『衛正斥邪派』

 筆者はたまたま読んでいた著名な韓国人ジャーナリストの記事を紹介した。韓国有力紙「朝鮮日報」の元主筆、柳根一氏のコラムだ。

 「今(韓国は)混沌の局面だ。庶民生活が無茶苦茶になっている。『進歩』を掲げる政府でありながら、その政策は貧富の格差を一層ひどくした」

 「混沌をまざまざと示すのは20代男性の最近の動向だ」

 「当初は文在寅大統領を支える大きな支持層だった。その後わずか半年で年齢層の中で文大統領を最も支持しない層に変わった」

 「実は20代だけでなく、多くの国民が自分たちの生活を以前よりも苦しくした張本人は『保守』だと確信し、『進歩』に投票した。ところがどっこい、実際にその『進歩』が彼らを苦しめているのだ」

 「彼らが『進歩』と考えていた当事者たちは実は『進歩』でなく、歴史の反動であり、守旧の愚か者だったのだ」

 「(今、文在寅政権で要職に就いている)かっての学生運動家たちは近代文明における左派ではなく、前近代の朝鮮王朝時代における『衛正斥邪派』*1のようなものだったのだ」

*1=元来は正学(朱子学)を守り、邪学(仏教や天主教など)を排斥する学派だったが、欧米列強の侵略に直面し、欧米諸国を夷狄視して排斥する学派に転じた。朝鮮王朝末期の政治思想及びその学派。

 「左派は自由民主主義を否定し、産業化に反対し、ビジネス文明に無知。彼らはかっての中華帝国とその子分として自分だけが世界のすべてのように考えた朝鮮王朝時代の発想に基づいて行動している」

 「今(韓国で行われている)戦いは大韓民国と朝鮮(北朝鮮+南朝鮮)王朝との間で起こっている」

渡邉恒雄氏の「反ポピュリズム論」とも相通ずる「民主主義の死」

 勉強会に出席した米主要紙のコラムニストはこうコメントした。

 「『保守反動独裁に対する抵抗』を掲げる自称『民主闘士』たちが政権を握ると、今度は自分たちに反対する者たちを査察し、裁判にかける。投獄する」

 「どこの中堅民主主義国家にも見られる現象だ。文在寅(大統領)が南北朝鮮和解だ、統一だ、と大騒ぎするのは、国内的に政権持続が怪しくなってきたからだろう。『反日』は文在寅政権にとっては命綱のようなものなんだろう」

 かって読売新聞主筆の渡邉恒雄氏は著書『反ポピュリズム論』の中で「大衆迎合は国を滅ぼす」と指摘している。

 まさに本書の著者たちが指摘した「民主主義は大衆が選んだ指導者の手で死ぬ」という論点にも相通ずるものがある。

 著者たちが指摘した「民主主義の死」。それはただトランプ政治にだけに当てはまるものではない。

 また右とか左、保守とか革新とは別次元のものだろう。

(ややもすれば、「進歩」だとか「革新」と言うと、何となく反民主主義独裁とは無関係と思いがちだが、反民主主義と政治哲学は無関係だ)

 「民主主義は大衆に選ばれた指導者によって死ぬ」――。

 噛みしめたい主張だ。韓国の知識人の意見も聞きたいところだ。

 本当に今、韓国では「大韓民国と朝鮮王朝の戦い」が起こっているのか。

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