民泊新法(住宅宿泊事業法)が施行されてから、この6月でちょうど1年が経過した。新法の下で届出された民泊数は1万7301件(6月7日時点)。施行時点と比べて7.8倍増加したことで「民泊急増」とのコメントがメディアで踊ることになった。
実は「民泊」はそれほど増えていない
都道府県別にみると1位が東京都で5879件、続いて大阪府の2789件、北海道2499件の順。上位3自治体で全体の約6割。民泊のねらいは外国人宿泊であることから訪日外国人観光客の多い自治体での届出が顕著であることがみてとれる。
民泊を考えるときに新法ばかりに目が行きがちだが、別の法律で認められている民泊がある。特区民泊だ。特区民泊は、正式には「国家戦略特別区域外国人滞在施設経営事業」という恐ろしく長い名称がついた事業である。特区として認められている自治体は、東京都大田区をはじめ、大阪府の大阪市と八尾市、北九州市、新潟市、千葉市がある。このエリアであれば2泊3日以上との条件があるものの基本的には民泊を営むことが認められている。この特区民泊の件数は7864件。実はこのうち90%が大阪市での届出である。
さて特区民泊はともかくとして、この1年間で届け出数が1万7000件に及んだことが「急増」と言えるかというと、それほどでもなかったというのが業界筋の見方である。
民泊は新法施行前、訪日外国人観光客の急増に伴う宿泊施設の不足から脚光を浴び始めたものだが、不審な外国人によるマナー違反や夜中の騒音問題など、どちらかといえばかなりネガティブな社会問題として取り上げられてきた。また顧客を取られることを心配したホテル旅館業界が、旅館業法などによる制約がない民泊に対してこぞって反対を唱えた。
いっぽうで政府は2020年訪日外国人数4000万人、30年6000万人の目標を掲げる中で宿泊施設数の拡大、充実が喫緊の課題だった。そこで民泊を法的にも整備したうえでの活用を図ったのだ。不動産業界も空き家などの新たな活用策になるだけでなく、賃貸マンションやホテルに代わる新しい事業形態として民泊が「新たな選択肢」となることを、当初は期待していたのだ。
ホテル旅館業界の意向を汲んで作られた民泊新法
だが、民泊新法で定められたのはたぶんにホテル旅館業界の意向に沿う形になった。その最大のポイントは営業日数を年間最大180日としたことだ。1年間で半年間しか営業できないということは不動産投資で考えれば利回り半減である。この規制で新たな不動産投資メニューの策定を目論んでいた事業者の多くが興味を失った。さらに最大180日規制には、各自治体が屋上屋を重ねることを許容した。その結果、国の示した基準以上の厳しい規制を施す自治体が急増したのだ。
日本国中で一番外国人観光客に人気がある京都市がその典型だ。民泊は住居専用地域内でも宿泊を認めるというものだったが、京都市が別途条例で定めたのは「住居専用地域内における民泊は毎年1月15日から3月15日までの60日間に限って認める」というものだった。つまり、京都市は180日規制を60日に絞っただけでなく、期間まで限定したのだ。京都に住む人ならおわかりになるだろうが、毎年1月15日から3月15日までの京都市内は一番寒さが厳しい季節だ。市内をウロチョロ観光するなどできれば避けたい頃。そんな期間中のみ「やってよろし」というのが、京都市が民泊に対して言い放った規制だったのだ。
民泊新法は「規正法」の色合いを強めた
同様の趣旨の規制は、他県でもある。長野県の軽井沢町では大型連休のある5月や7月から9月の夏季期間中の民泊禁止をうたうなど、民泊を行おうとする事業者ばかりでなく、民泊を利用しようとする宿泊客に対してもあからさまにNOを突き付けるといった内容のものである。
また各自治体では普通の個人では到底作成しきれないほどの複雑で多様な書類の提出を求めたり、提示された資料に難癖をつけるなどして民泊の実施をあきらめさせようとしているのではと疑われるような事例まで報告されている。
マンション管理組合の対応も素早かった。民泊新法が施行される前に管理規約を改正していないと、許可をとった部屋は民泊が合法化されてしまうとのことで、ほとんどの組合で民泊禁止がほとんど議論されることもなく可決成立した。
つまり民泊新法は当初目指していた民泊という新しい宿泊形態を法的にしっかり位置づけ発展させようという考えとは裏腹に、限りなく「規制法」としての色合いを強める代物になったのだ。
日本人特有の「よそ者や新しいものを受け付けない」キャラクターがあるとの議論は置いておいて、その背景には既存の権利者、つまりこの場合は既存の旅館、ホテルあるいはマンション住民が自分たちの権利を守りたがっていることがある。既得権益者は自分たちの領域に入ってくるものを排除することで自分たちの権利を守ろうとする。この考え自体は必ずしもすべてが誤ったものではないが、ともすると既得権益を守ることだけが目的となり、社会全体や時代の流れとの調和を妨げるものともなりうる。京都市や軽井沢町の規制が強いのも既存のホテル旅館や別荘所有者のような「声の大きい」住民が、行政に圧力をかけることで、地元住民に忖度、配慮しなければならなくなる実態を如実に表しているものともいえるだろう。
こうして民泊を排除、封じ込めることに成功したホテル旅館やマンション管理組合だが、次なる脅威がすでに忍び寄っていることに気づいているだろうか。
多くのマンションが「民泊」という利益を生む選択肢を失っている
マンションは累計戸数がすでに640万戸を超え、すでに日本人の一般的な居住形態になっているが、その形態が誕生して早60年。マンションは建物の老朽化が進み、2020年には216万戸が築30年以上を迎える。相続した子供や孫にとってそのまま住み続けることができればよいが、多くは賃貸や売却の道を選ぶことが予想される。マンションを自分が住むためではなく活用していかなければならない時代にあって、現在の多くのマンションは民泊という収益を生む選択肢をひとつ失っている。今後相続の大量発生が確実である首都圏などではマンション空き住戸の活用に悩む区分所有者や管理費、修繕維持積立金の滞納に怯える管理組合の数が急増することだろう。
簡易宿所がビジネスホテルの需要を奪いつつある
民泊を封じて一息ついているホテル旅館業界にも暗雲が漂い始めた。簡易宿所である。簡易宿所とは旅館業法で位置づけられた宿泊形態で、ホテルや旅館よりも規制が緩い。以前は日雇い労働者が宿泊する宿という印象が強かったが、最近ではホステルなどといった名称で東京や大阪、京都などで急増している。内容はカプセルホテルと同様、トイレやシャワーを共用にして1部屋に複数の客が滞在するタイプのものが主流だ。
簡易宿所は住居専用地域では建設できないが、訪日外国人観光客を目当てにマンションデベロッパーや他業種、新興系企業が相次いで参入している。規制が緩いために宿泊のノウハウに乏しい業者でも容易に始めることができるからだ。厚生労働省の調査によれば2018年3月末の簡易宿所数は3万2451軒となり、対前年比2892軒の増加。対前年比で867軒減少して3万8622軒となった旅館数に匹敵するに至っている。
もともと特区民泊が認められている大阪市などでは民泊に加えて規制の緩い簡易宿所が急増していて、すでに市内のビジネスホテルの需要を相当数食い始めているとの報告もある。
さらに簡易宿所の勢いを増幅させそうなのが6月25日施行の建築基準法の一部改正だ。今回の改正ではこれまで延床面積100平米を超える建物をホテルや旅館、簡易宿所に用途変更する場合には確認申請が必要だったのが、基準が200平米を超える場合に緩和される。小規模建物で簡易宿所などへの変更がさらに増えることが容易に想像される。
民泊は思い切り規制を強めて事実上、封じ込めることに成功したホテル旅館業界やマンション管理組合だが時代の流れは速い。足元はすでに老朽化した住戸の空き家問題や簡易宿所という強烈な波にもまれ始めているのだ。