【ニッポンの食、がんばれ!】
■特産品 観光にもつなげたい
熱帯系の果実や果汁の多くを輸入に頼る中、沖縄県では近年、アセロラの生産が拡大中だ。重労働が少ない代わりに作業がきめ細かく、高齢者に向いているという。国内最大の生産地である同県本部(もとぶ)町では特産品に位置付けられ、関係者は「さらに生産を拡大し、観光にもつなげたい」と意気込む。(草下健夫)
◆ 丁寧さが必要
「果物の収穫は年1回が多いが、アセロラは5、6回。たまたま収穫期と台風の接近が重なっても、年間の収量はゼロにはならない」
沖縄県北西部の本部町。ここでアセロラの生産拡大に努めてきた農業生産法人「アセローラフレッシュ」の代表取締役、並里哲子さん(52)は、栽培のメリットをアピールする。
アセロラは昭和33年、米ハワイ大学のヘンリー仲宗根(なかそね)教授が琉球政府(当時)の依頼に応じ、パパイアなどとともに沖縄に持ち込んだものの、栽培が難しいとされ普及しなかった。
25年ほど前、米国でビタミンCの豊富な果物としてアセロラの人気が高まった。それを知った並里さんの夫、康文さんは「やがて日本でもブームが来る。地元で栽培できないか」と予測。琉球大学農学部の学生だった康文さんは「木を剪定(せんてい)して低くすれば台風による倒木を防げ、収穫も楽」といった栽培方法を研究した。「アセロラは傷みやすく、一粒ずつ手で収穫するなど作業が細かいが、サトウキビのような力仕事にならない。丁寧な作業ができる高齢者に向く」と並里さん。
並里さん夫妻は新しい作物に二の足を踏む地元の人々に栽培を呼びかけ、平成元年に「生産者の会」、翌年には流通の確立を目指してアセローラフレッシュを設立。栽培方法の普及や果実の農家からの買い取り、加工、出荷を進めてきた。
◆加工品多彩に
同町で元年に8軒だった生産者は、今年約50軒まで拡大し、町は収穫量25トンを見込んでいる。収穫量最大の農家、仲地淳さん(54)は、約400本のアセロラから年間約2・5トンを収穫。「作付を増やすより、今ある木の手入れ次第で、もっと収量が増えると思う」と話す。
収穫したアセロラはピューレやシロップ、ドレッシング、菓子などに加工、出荷されている。町が制定した「アセローラの日」(5月12日)には町内小中学校の給食にアセロラゼリーを出すなど、地産地消の教育にも生かされている。
生の実も販売するが、かなり傷みやすく輸送が難しいという。都内などの限られた店でも手に入るが、「よく熟したものを生で味わうには、ぜひ本部町に遊びに来て」と並里さん。
康文さんは昨年2月、急逝。並里さんは「夫は郷土愛が強かったが、その思いを受け止める郷土にも恵まれた。アセロラが産業として根付くよう、しっかり取り組まなければ」と思いを語る。本部町の高良文雄町長は「今後は収穫体験など、観光にもつなげていきたい」とアピールする。
【用語解説】アセロラ
熱帯アメリカ原産とされる高さ2~4メートルほどの常緑低木。熱帯や亜熱帯で育ち、薄紫色の小さな花が咲いた後、20~30日ほどで丸く、サクランボのような鮮やかな赤い実をつける。ビタミンCを多く含むなど、栄養価の高さから注目が集まった。生では酸味が強すぎるためビタミンC関連の製品などに加工される「酸味系」と、凹凸があって生で食べられる「甘味系」に大別される。国内では甘味系が沖縄県などで栽培されている。農林水産省の統計によると、国内のアセロラ生産は元年の9トン(うち沖縄県8トン)から、19年に42トン(同42トン)にまで増加した。
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