沖縄の1972年返還が決まった69年11月の日米首脳会談で、佐藤栄作首相とニクソン大統領が返還後の沖縄に緊急時に核兵器を持ち込む密約を結ぶまでの詳細なシナリオの存在が明らかになった。佐藤首相の密使としてキッシンジャー大統領補佐官と水面下で交渉した若泉敬・京都産業大教授(当時)が佐藤首相向けに書いたものとみられる。 【写真】日米首脳会談を終え帰国した佐藤栄作首相。隣に写るのは愛知揆一外相と田中角栄・自民党幹事長 会談の運びは、若泉氏が94年に核密約の存在を明かした著書で触れているが、それを裏付ける史料で、段取りなどが詳細だ。密使を使った極秘交渉の舞台裏で、保秘を徹底していた様子がうかがえる。 非核三原則を掲げる佐藤首相は沖縄返還交渉でも「核抜き・本土並み」を目指したが、米側は返還時に核を撤去する代わりに緊急時の核持ち込みを認めるよう要求。外交当局間の事前交渉で詰め切れないまま、69年11月19日から3日間にわたるホワイトハウスでの首脳会談が迫っていた。 シナリオでは、核密約という言葉は使われず、「議事録」と記されている。米側では「ニクソン氏とキッシンジャー氏のみが承知していて、国務長官らも知らされない」と佐藤首相に説明。核問題を議論する会談では触れず、「ニクソン氏が自然な形で『美術品など飾ってあるのでお見せしたい』と誘うまで待って頂きたい」とし、通訳も入れずに隣室に移って「直ぐにサインする」よう求めている。別室に移るまでの流れは米側の会談録にもほぼ同様の記載がある。 目立つのは、核密約について「会談中を通じて両首脳とも一切ふれない(完全極秘事項)」「絶対極秘扱」などと強調している点だ。「新聞記者その他から、『有事核持込み』について秘密了解があったのでは」と問われた場合は、「頭から否定する」とし、徹底して核密約の存在を隠すよう念を押している。 一方、シナリオでは核密約の署名はイニシャルでサインするとしていたが、実際はフルネームだった。若泉氏は著書で、会談後に佐藤首相から電話があり、「ただ一つ違っていたのは、サインの件」と伝えられ、「なぜだろう、と強い疑問が私の頭をよぎった」と述べている。 両首脳は核密約を結んだ上で、沖縄の72年返還を明記した共同声明を発表した。佐藤氏は非核三原則に基づく外交などが評価され、74年にノーベル平和賞を受賞している。 この核密約は、若泉氏が著書で初めて明かした後も、政府は否定。2009年に佐藤首相の次男で元自民党衆院議員の信二氏(故人)が、両首脳がフルネームで署名した核密約の合意文書を公表した。今回明らかになったシナリオは、信二氏の娘の夫で自民党参院議員の阿達雅志氏が直筆とみられる原本のコピーを保管していた。