津波で九死に一生を得た元消防署員・及川淳之助さんが気仙沼・伝承館館長に就任

東日本大震災発生当時、南三陸消防署(宮城県南三陸町)の当直司令だった及川淳之助さん(69)が今月、宮城県気仙沼市の東日本大震災遺構・伝承館の館長に就任した。及川さんは津波で志津川湾を漂流した後に生還したが、殉職した同僚10人らの遺族感情に配慮し、被災体験をあまり語ってこなかった。震災から13年がたち、あの日の記憶と教訓を後世につなごうと決断した。
(気仙沼総局・藤井かをり)

同僚失い口閉ざした日々も、進む風化に危機感

 2011年3月11日、非番だった及川さんは気仙沼市本吉町の自宅で地震に遭った。駆け付けた署で津波にのまれ、たぐり寄せた木材に腹ばいになり、志津川湾を3時間ほど、約10キロも漂った。

 海上で限界を感じた時、力をくれたのは家族だった。「女房、おふくろ、子どもたちの笑顔が頭をよぎった。『だめだ、絶対助かってやる』と思い直した」。流れ着いた南三陸町戸倉地区で意識を失ったが、戸倉中の生徒たちの救命活動で一命を取り留めた。

 消防長まで勤め上げ、15年に定年退職。これまで報道機関の取材依頼はほとんど断ってきた。同僚の遺族につらい記憶を思い出させたくなかったからだ。

 苦楽を共にした仲間の面影は、いつも脳裏をよぎる。「消防士は一緒に笑って泣いて同じ釜の飯を食う。表情も声も一生忘れない。田舎だから家族の顔も分かるんだ」。寝る直前や運転中など、ふとした瞬間にぱっと顔が浮かぶという。

 自治組織である小泉浜区振興会の仕事などをこなしながら妻と2匹の猫とのんびり過ごしていた及川さんが、市から伝承館の館長就任の打診を受けたのは今年2月。迷いもあったが、今ならできる気がした。「津波の恐ろしさを伝えないで、あなたは何のために生きているんだ」。最終的に、妻のその言葉に背中を押され、就任を受諾した。

 自宅で眠っていたスーツを引っ張り出し、4月から週2日ほど館内に立つ。伝承館隣のパークゴルフ場がにぎわう様子に目をやり「前向きに過ごす人が増えてきた」とかみしめる。

 13回忌が過ぎ、自身の気持ちに変化が生まれている一方、震災が風化する現状に危機感も覚えていた。当時の記憶がない子どもが大きくなっている。「災害への関心を高めないといけない」と強調する。

 伝承館は「見て聞いて感じ、自ら考える人材育成の場」と捉える。災害の恐ろしさや備えの重要性はもちろん、家族や人と人のつながりの大切さも伝えていきたいと願う。

 防災は決して難しいことではないと説く。「津波が来たら、あったげ(とても)高い所、遠い所に逃げる。想定に惑わされるな。そういうことをシンプルに伝えたい」。来館者に、自分の体験や思いを率直に語りかけるつもりだ。

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