宮城県気仙沼市の市東日本大震災遺構・伝承館の館長に4月に就任した及川淳之助さん(69)が29日、来館者に初めて被災体験を語った。及川さんは南三陸消防署(南三陸町)で津波にのまれ、志津川湾を漂流した後に生還したが、同僚10人は犠牲になった。「何で俺だけ助かったんだ」。時折言葉を詰まらせながら壮絶な体験や同僚への思いを口にした。(気仙沼総局・藤井かをり)
気仙沼伝承館長の及川淳之助さん「備えの大切さを感じてほしかった」
歴代館長が防災減災に関する講話をする企画の一環で実施され、県内外の約50人が耳を傾けた。
及川さんは駆け付けた署2階で津波にのまれ、3時間にわたって漂流した状況を説明。体力に限界を感じて海に体を沈めた時、3人の娘の顔が頭に浮かんだと語った。
「成人した当時の姿ではなく、2、3歳のころ。ブランコに乗ったり、庭で遊んだり。これではだめだ、生きてやるんだとはい上がった」と振り返った。
南三陸町戸倉地区に漂着し、戸倉中生徒の救命活動で九死に一生を得たが、同僚10人は帰らぬ人となった。「流された10人には、子どもたち、奥さん、家族がいる。毎日飯を食い、遊んだ仲間の声が、毎日よみがえる」と振り絞るように話した。
遺族に配慮し、封印していた体験を話すようになった心境の変化について「今年で70歳。人生のカウントダウンに入り、話さなければと思うようになった」と明かし、「皆さんのおかげで助かり、こうやってお話しできることをうれしく思う」と締めくくった。
参加者はうなずいたり、ハンカチで目頭を押さえたりしながら聞き入った。相模原市から訪れた臨床心理士横山克貴さん(34)は「津波に流された人の話を聞くのは初めてで、胸に迫るものがあった。涙ながらに話してくださり、13年たっても震災は終わっていないと感じた」と語った。
講話を終えた及川さんは「急にこみ上げてくるものがあったが、無事に終わってよかった」とほっとした表情を浮かべた。教訓めいたことを話さなかったことに関しては「備えの大切さを自分で感じてほしかった」と話した。