東日本大震災の津波で浸水した宮城県山元町の農地で、芝生の生産が今月中旬、本格的にスタートする。町出身の会社経営者ら5人がことし4月に事業会社を設立。将来的には沿岸部の50ヘクタールで栽培し、全国の自治体や学校などに売り込む。メンバーは「山元を緑の大地に」と壮大な計画を抱く。
生産を始めるのは、一般社団法人「日本運動施設建設業協会」に所属する仙台市の経営者4人と被災した町内の農業者1人の計5人。共同出資で「東日本復興芝生生産事業株式会社」を設立した。
山元町北東部に位置する牛橋地区で、津波被害を修復した民家の一角に事務所を構え、周辺の約3ヘクタールの農地を整備。在来種の野芝とサッカー場などで多く用いられるティフトンの2種をまき、約1年間かけて育てる。栽培に携わる地元住民の雇用も進める。
同社の大坪征一社長(70)は、仙台高を卒業するまで牛橋地区で暮らした。「山元は冬も温暖で雪が少ない。芝生の栽培には適している」と利点を強調する。
大坪社長は震災翌日、津波をかぶった古里に駆けつけた。実家は津波で全壊し、周辺の田園風景はがれきに埋もれていた。荒れ果てた姿に「『これではいかん』と怒りを覚えた」。協会の経営者仲間に復興の協力を呼び掛け、芝生を栽培するアイデアが生まれた。
取締役の田原健一さん(44)は「現在は東北、北海道の芝生の7割が茨城県産。栽培が軌道に乗れば地産地消できる」と意義を語る。昨年6月に大坪社長の実家跡など約2000平方メートルで試験栽培をし、生育を確認。空間放射線量は地表近くで毎時0.07マイクロシーベルトと問題はない数値だという。
「津波で傷ついた農地を緑の大地に変え、古里に恩返ししたい」。大坪社長の熱意を行政も後押しする。町は沿岸部の農地約400ヘクタールの集約を計画。町産業振興課は「農地の有効な活用策となる上に、地元住民の雇用拡大にもつながる」と期待を寄せる。