浄土ケ浜が名勝に 震災後も価値 文化審

国の文化審議会(西原鈴子会長)は18日、宮古市の浄土ケ浜を名勝に、同市津軽石の盛合氏庭園を登録記念物(名勝地関係)に指定するよう中川正春文部科学相に答申した。浄土ケ浜は「浄土」のつながりの下、「平泉の文化遺産」の世界遺産登録に合わせて名勝指定を目指してきたが、同じ年に指定が実現する。名勝は県内で8件目、登録記念物(同)は初の指定となる。
 浄土ケ浜は、宮古湾の西岸から湾内に突き出た臼木半島北東端部に位置し、白色の岩塊群とその内側の礫浜(れきはま)から構成される。約1万年前に半島ができ、その後に海進と海退を繰り返す過程で内湾が成立したとみられる。
 独特で美しい形状や色彩を持つ景観は岩塊群を阿弥陀如来、海を隔てて浜を人間の世界などとなぞらえて「浄土」と称されるようになり、江戸時代の紀行文などで自然が造形した浄土の光景として広く紹介された。近代でも宮沢賢治が訪れて短歌を詠んでいる。1954年に県指定の名勝、翌55年には国立公園に指定。今回は名所としての景観の価値は高いなどとして、国の名勝として指定されることになった。
 世界遺産に登録された「平泉」は浄土がキーワードとなっており、浄土ケ浜とも関わりがあるとして、県と市では3年ほど前から名勝指定に向け国に働き掛けてきた。東日本大震災では、岩の上の松が波をかぶった影響で塩害が見られるものの、大きな被害はなかったという。
 山本正徳市長は「浄土ケ浜が国指定となることは、これからの宮古市の観光復興の大きな足掛かりとなるもので、これを契機にさらに多くの方々が来訪されることを望む」とコメントしている。
 一方、盛合氏庭園は池が石組みで護岸され、中央に島を配置。池の背後には小高く築山があり、景石が複数据えられている。盛合氏は近世から成長した宮古地方の豪商で、居宅は寛政9(1797)年に改修、完成。享和元(1801)年には測量調査旅行の途中だった伊能忠敬が滞在したとされる。敷地内の住宅主屋は2007年に登録有形文化財(建造物)に登録された。
 庭園は18世紀末から19世紀にかけて宮古地方に伝わった庭園文化を知る上で意義深いとされた。震災では一帯が浸水して松の一部に塩害、池には藻が発生したものの、大きな被害はなかった。
【写真】国の名勝として指定されることになった浄土ケ浜(宮古市教委提供)

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