海の男の心意気は流されず 東日本大震災で被災、仙台・深沼海水浴場に「海の家」復活

仙台市若林区の深沼海水浴場に15日、海の家「はっちゃん」が復活する。昭和、平成の時代に若者や家族連れで活気に満ちていた真夏のビーチは東日本大震災を機に遊泳禁止となり、静寂に包まれてきた。待ち望んだ開店に向け、日焼けした店主は「再び海ににぎわいを」と準備に奔走する。(せんだい情報部・伊藤卓哉)

ジュークボックスから「サザン」「TUBE」のヒットナンバー

 開場が迫った12日。小雨がぱらつく中、海の家の前に白のテーブルといすをせっせと並べていた。店主の白井文一郎さん(76)=宮城野区=が完成間近の小屋を見ながらつぶやいた。「ようやく実現するんだな」

 1985年におばの手伝いで海の家に携わってから、震災前の2008年までの23年間、店頭に立ち続けた。「昔は店で寝泊まりするくらいの忙しさ。夏はいつも単身赴任状態よ」と往時を振り返る。

 「湘南の海に憧れてね。実際に見に行ったら、店のレイアウトから食べ物までおしゃれだったんだ」。最先端のトレンドを取り入れ、仙台の浜辺に新風を吹き込んだ。

 店の前に置いたのはジュークボックス。サザンオールスターズやTUBE、ユーロビートのヒットナンバーを大音響で流すと、歌い踊る若者の輪が生まれた。海の家では珍しかったクレープが話題を呼び、長蛇の列ができた。

 市観光課によると、1日の来場者数は記録が残る04年以降、06年の1万7860人が最多。白井さんは「バブル時代は1日で2万人ぐらいは来てたのではないか。人の髪で砂浜が真っ黒に見えるくらいだったな」と懐かしむ。

 大好きな夏の暮らしは震災で奪われた。同業者は津波にのまれて亡くなり、漁協支所の倉庫で保管していた調理器具や資材も流された。発生から数日後、白砂青松が根こそぎ失われた現実を目の当たりにし、海の家はもう開けないと悟った。

 「多くの人命が失われた海でやっていいのか。でも、海の男は黙ってはいられなかったね」。8月に喜寿を迎える店主は、昔と変わらないアロハシャツと短パン、ビーチサンダル姿で海水浴客の来場を心待ちにする。

14年ぶり開場、遊泳可能エリア示すブイも設置

 東日本大震災以降、遊泳禁止が続いてきた仙台市若林区の深沼海水浴場が15日、14年ぶりに開場する。8月18日までの計35日間、午前9時~午後4時に開放する。

 遊泳エリアは、海岸の幅約200メートルのブイで囲んだエリアに限定。津波発生時の避難対策として、滞留人数を最大800人に制限する。避難場所は震災遺構「荒浜小」と南側の「避難の丘」。正午から午後1時までは安全確認などで遊泳できない。

 海水浴場の入り口付近には、仮設トイレ(10基)とシャワー室(8室)、更衣室(2室)を設置し、いずれも無料で利用できる。有料駐車場は約230台分あり、1台500円。砂浜エリアには海の家やキッチンカーが出店する。

 遊泳の可否を含めた開設状況は毎朝午前8時半に特設サイトやX(旧ツイッター)、インスタグラムで確認できる。混雑状況は随時、更新される。

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