2013年3月の東急東横線渋谷駅の地下化と、東京メトロ副都心線との相互直通運転以降、渋谷の凋落がささやかれるようになった。2013年には長年保っていたJRの乗降客数3位の座を東京、横浜に抜かれて5位に転落、さらに2016年には僅差ではあるものの、品川に抜かれ、6位に転落。憧れの地として人を集めてきた勢いを失い、単なる猥雑な繁華街として個性を失いつつある渋谷に未来はあるのだろうか。

渋谷凋落3つの要因

東急東横線渋谷駅の地下化を始点に渋谷の凋落を語る人は少なくないが、実際はもっと前から始まっていた。要因は3つある。ひとつはかつて渋谷を渋谷たらしめていた文化の消滅である。

渋谷が洗練されたおしゃれなまちと広く認識されるようになった契機は1973年の渋谷パルコの誕生である。駅から500mも離れた、坂の途中という立地、専門店共同ビルというそれまでにないスタイルに最初は「成功するワケがない」という冷ややかな声が大半だったというが、これが大成功をおさめる。

以降、西武流通グループ(のちのセゾングループ)はいわゆる文化戦略を推進、若者文化とアートの街として1980年代から1990年代初頭にかけてのセゾングループの拡大と軌を一にして渋谷は大きく成長する。

渋谷パルコ以降、1990年までに渋谷に登場した施設をざっと挙げると、1975年にパルコパート2、1978年に東急ハンズ、1979年に渋谷109、1981年にパルコパート3、1987年にロフト、1988年にクアトロ、1988年にワンオーナイン、1989年にBunkamura――と、今の渋谷中心部はセゾングループ全盛期に形作られてきたことがわかる。

その後、バブルの崩壊と同時にセゾングループは解体に向かうが、渋谷の文化自体は生き続けてきた。1990年代には、フリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴなど、「渋谷系」といわれる音楽が流行ったこともある。

ところが、こうした施設は2000年以降、少しずつ姿を消していく。2000年には、1969年に公園通りに誕生し、演劇やライブなどで親しまれた小劇場渋谷ジァン・ジァンが閉館。2005年には1912(明治45)年に渋谷で創業した大盛堂書店本店がビル建て替えで閉店、跡地にはファストファッションのZARAが入った。2010年前後からはシネセゾン、シネマライズなどミニシアターの閉館も相次いでいる。


現在の公園通り。手前が閉店したギャップ公園通り店。中央が工事中のパルコ(筆者撮影)

さらに、2016年8月にはパルコが閉館。人通りが減った公園通りを嫌って2017年5月にはギャップ渋谷店も閉店し、公園通りは寂しくなった。

2019年には20階建ての大型複合ビルとして再スタートする予定だが、駅から遠い公園通りに人は戻ってくるだろうか。頼りは公園通りと駅をつなぐ地点にある西武百貨店だが、春日部、旭川、柏、筑波、八尾、船橋と西武・そごうの他店舗の相次ぐリストラニュースを聞くと過度の期待は持てない。

渋谷発のファッションが生まれなくなった

2つ目の理由はファッション業界の変化だ。1980年代以降、渋谷は若者ファッションを生み出してきた。1980年代中盤から1990年代前半にかけて若者を渋谷に引き寄せたのが「渋カジ」といわれたスタイル。その後、1991年から2001年にかけてはチーマーを皮切りに、コギャル、ロコガール、ガングロ、ヤマンバ、ギャル男などと称されるギャル文化が一世を風靡した。渋谷で流行ったルーズソックスや厚底ブーツなどが全国に広まったことも今では懐かしい話だ。

だが、それ以降渋谷発で全国に広がるファッションは生まれていない。かつてカリスマ店員と呼ばれる人たちを生み、ギャルファッションの聖地だった渋谷109も2009年度の286.5億円をピークに売り上げは減少の一途をたどっている。

2008年に日本に上陸した「H&M」、2009年の「FOREVER21」などのファストファッションに押される一方なのだ。加えて、ネット通販、フリマ市場など衣類購入の選択肢の豊富な現在、ギャルがわざわざ渋谷109に買い物に行く必要はなくなったのである。

3つ目は鉄道の延伸、相互乗入れだ。便利になればなるほど、渋谷の特別感はそがれてきたのである。ストリートから流行が生まれた渋カジ時代には口コミと雑誌が情報源だったから、渋谷に行くことに意味があった。日常的に渋谷に行けるということはステータスでもあった。チーマー、コギャルの時代にもわざわざ渋谷に行き、センター街をうろつくことが楽しかったのだろう。

だが、1996年に埼京線が延伸、2003年に東急田園都市線が東京メトロ半蔵門線を介して東武伊勢崎線・日光線と相互直通運転を始め、渋谷は徐々にどこからでも行きやすい場所になっていく。最後にとどめを刺したのが2013年の東急東横線渋谷駅地下化と東京メトロ副都心線直通運転だ。

簡単にいつでも行ける場所にかつてほどの輝きがなくなるのは仕方ない話。実際、ここ30年でいえば「頑張っておしゃれをしています」という人は年々少なくなっている。ファッションの傾向自体がカジュアルになっているというせいもあるが、渋谷に行くのに気張る必要はなくなったというのが事実だろう。

交流の場としても廃れつつある


駅から少し離れた高台に位置する百軒店にはこのところ個性的な店が増え、外国人客も多い(筆者撮影)

情報収集、発信手段の変化も大きい。1995年前後にはPHSがコギャルの必携品となり、その後2000年以降は携帯が、2004年以降はミクシィ、GREEなどのSNSが普及、その場にいなくても情報が入り、人とつながれる時代が到来する。ここでもまた、わざわざ渋谷へ行く必要がなくなったのである。

その結果、現在の渋谷で幅を利かしているのは大手チェーン店だ。以前のようにわざわざ渋谷に来る人は減っても、観光客を含め渋谷はそれなりに人が集まる街である。商売にはなる。センター街、文化村通り、道玄坂で目につくものといえば、ユニクロ、H&M、FOREVER21、ZARA、ビックカメラ、ヤマダ電機LABI渋谷などなど。飲食店も同様で、個性や野心的な造りで話題になるのは百軒店や神泉方面など、中心部から離れたところばかりである。

都心部でオフィス、店舗を扱う不動産会社サンライズの野里浩一氏によると、今、新宿、池袋、渋谷を同じ土俵に乗せた場合、渋谷の個性がわかりにくくなっているという。乗降客数が多く、見込み客の多い場所に出店したいと希望する企業の場合、最初の出店先として選ばれるのは日本一の販売力があり、その分、賃料は高いものの売り上げも見込める新宿。マーケットが読めるまちといってもいい。

だが、問題はその次に渋谷に出すか、池袋に出すか。「かつては個性、こだわりを売りにするなら渋谷、万人受けするリーズナブル路線を狙うなら池袋という選択がありました。どちらに出すかがその企業のその後の展開を決めたものですが、現在の渋谷にはそこまでの個性がないうえに賃料は池袋より高い。特に今は再開発の影響で物件がなく、大手でもなかなか入れない状態です」(野里氏)

かつては渋谷に店を出すことは流行の発信地に拠点を置くという意味があったが、今の渋谷は池袋のように「流行を消費するまち」になりつつある。特に独自性を売りにしたいと考える企業にとってはあえて選ぶような魅力ある立地ではなくなっているのだ。

こうしたコモディティ化には渋谷の盟主、東急電鉄も危機感を抱いている。勢いのあった頃の渋谷には、アーティストや各種フリーランス、アパレルやIT、デザイン系などの小規模事業者が多く集まっており、そうした人たちが活気を生み出していた。それをなんとか再現できないか、そうした試みがヒカリエ以降見られるのである。


東急プラザの工事現場越しに渋谷駅方面。右側の建物が東急東横線跡地に建つ渋谷ストリーム(筆者撮影)

ヒカリエの場合には8階にコワーキングスペース「Creative Lounge MOV」が造られており、2017年4月にキャットストリート入り口にオープンした渋谷キャストには1~2階にシェアオフィス、2018年秋オープン予定の渋谷駅南街区の渋谷ストリームにもインキュベーションオフィスが予定されている。少しでも安く、多くの人が渋谷にオフィスが持てるようにする工夫である。

「渋谷圏」を広げようとする試み

また、再開発そのものにも渋谷圏を広げ、周囲のまちの多様性を取り込みたいという意図がある。渋谷は地名のとおり、谷。これまでは地形の制約から周囲に拡大できなかったが、再開発では谷の外側にもタワーを建てることで周囲をつなげようとしているのである。


ヒカリエ内にはコワーキングスペースのほか、劇場、ギャラリーなどが配されており、かつての渋谷文化を継承したいという意図が伝わる(筆者撮影)

それがよくわかるのは前述の2棟と周囲との位置関係から。渋谷キャストは再開発エリアの北端、キャットストリートを経て青山、原宿をつなぐ地点に位置し、すぐのところには地下への入り口がある。地下を抜けて再開発エリア南端の渋谷ストリームまで行くと、そこから代官山までは渋谷川沿いに遊歩道が用意される。

これによって青山、原宿から代官山までが渋谷を介してつながる。同様に開発エリア西側の南平台からは、高級住宅街である青葉台、代官山が近い。渋谷中心部が再開発で大型ビルばかりになったとしても、こうした周辺部に中小規模のビルが残っていれば、全体としては小規模事業者、個人営業店などが残り、活気が保たれるのではないかというわけである。

渋谷区や地元も若者には店を出せない、住めないまちになってしまった現状を打破しようと模索しており、そのひとつの試みが2017年8月5日に渋谷109周辺で公道を封鎖して開かれた「渋谷盆踊り大会」だ。渋谷を再び、訪ねて楽しいまちにしたいという意図である。

だが、住む人、訪れる人が触れ合う場を作ろうにも、渋谷駅周辺には多くの人が集まれる空間はない。だったら、公道を封鎖して場を作ろうというわけだ。初回は幸い、3万4000人もの人が訪れ、新たな渋谷を楽しんだようだが、こうした努力の継続が渋谷を再び輝かせることができるか。長らく渋谷を庭としてきた身としては、少なくとも利便性プラスアルファの個性あるまちとして再認識される日を期待したいところである。