首都圏に近い温泉地として古くから親しまれている熱海。小さいころに家族で泊まった思い出も、会社の忘年会で夜を明かした思い出も、記憶に新しい熱海だが、どことなく「さびれた温泉街」のイメージが思い浮かぶ。
そんな熱海に、実はいくつものトリビアがあることをご存知だろうか。
■日本初の電話より早かった、市外通話発祥の地
日本ではじめて電話交換業務が開始されたのは、明治23年12月の東京。しかし実は、その2年前、東京―熱海間で市外通話、つまり公衆電話の取り扱いがスタートしていた。
当時、熱海は政府の高官など多くの要人がリゾート地として訪れたため、有事にいち早く連絡がとれるようにと、東京・木挽町と熱海をつないだのが事始めだという。ちなみにこれは、アメリカで電話機が発明されてから13年後のこと。世界でも最先端をいっていたことがわかる。
■将軍御用達! 江戸までアツアツの湯
熱海の温泉の歴史は古い。江戸時代には、徳川家康が熱海の湯をいたく気に入り、熱海から江戸までその湯を運ばせていたという。
当時は「御汲湯」(おくみゆ)という職業があり、熱海から江戸まで15時間の道のりを走り続けて湯をとどけた。熱海の湯はその字のごとく、「アツユ」と呼ばれており、江戸に到着するまで冷めないほど熱い湯であったということが、今もまことしやかに伝えられている。
■実は日本一、芸妓さんの数が多い町!
明治時代から、政府の要人や文化人らが多く訪れた熱海。ハイカラな町にはハイカラな文化が育ち、全国から芸者さんが集まった。現在でも、全国でおよそ2800人いる芸者さんのうち、300名が熱海の町で活躍しており、なんとこれは日本一の数。
観光地としてはさびれたイメージが強くなっている熱海だが、まだまだその座はゆずれない。今こそ、ふるきよき伝統を残す熱海で、贅を尽くした遊びを楽しんでみるのも面白いかもしれない。
いま、あらためて熱海の魅力を世の中に発信しようという試みも活発になっている。熱海に本拠地を置くNPO法人のatamista(アタミスタ)は、「古くからハイセンスな文化が育ってきた熱海という地に、クリエイティブな20代・30代の人たちに訪れてもらいたい。歴史の刻まれた空き家や豊富な自然環境をステージにして、新しい文化を発信していきたい」と意気込む。
11/18(日)にも、知られざる熱海の魅力に迫る散策ツアー+まちづくりワークショップを開催し、首都圏などから多くの若者が集まる。
今後の熱海に、ぜひ注目してみたい。
(木本一花)