さて、今回のコラムでは、国や自治体などが支援を行っている「特産品」の問題点について考えてみたいと思います。
ある地域が「自分の地方を活性化したい」という場合、「特産品」の開発は、よく「切り札」のように言われます。「わがまちの名産をつくろう!」 という取り組みにも、さまざまな予算支援が行われています。
例えば「六次産業化」(農業や水産業などの一次産業が、加工(二次産業)や、流通・販売など(三次産業)にまで乗り出すこと)、「農商工連携」、最近では「ふるさと名物」なんて言葉も出てきており、実にさまざまな省庁や自治体が、特産品開発支援をしています。
では、なぜ特産品開発を行うのでしょうか。それは、地元の原材料を加工した特産品を作って、販売まで手掛けることができれば、原材料のまま販売するよりも格段に儲かる、という論理です。
例えば、ゆずをそのまま出荷するよりも、ゆずを絞ってポン酢に加工すれば、価格もあがり利益もとれます。もちろん、この論理自体は間違ってはいません。
しかし、特産品を作れば売れるのかと言えば、そう簡単にはいかないのです。
小売店の売り場をみればわかる通り、特産品だけでなく、さまざまなメーカーの商品が競合になります。そのため、商品を作ったはいいが、「全く売れない」どころか、「そもそも売り場さえ確保できない」ということも、ごく普通に起こります。
そのような中でも、特産品開発の予算はどんどん拡充されがちで、”予算がつくから”商品を作っている、という場合も出てきてしまっています。
こうした予算型の特産品開発では、「売れないもの」がどんどん生みだされてしまいます。それには、3つの問題点があります。
1つ目は、商品です。
商品自体が成功商品のコピー、もしくは「流行」に左右されてしまいがちです。例えば、ジャム、ジュース、カレーのように、過去に他の地域で成功してコピー がしやすいものであったり、お酢のように、その時の「はやり」のものだったりします。補助金が必要なほど資本力がない生産者・加工者のグループであるにも かかわらず、強豪の多い商品市場に参入し、埋没してしまうのです。
2つ目は、材料です。
なぜか根拠がないのに「自分の地域のものが日本一うまい」、などの「勘違い」を前提にしてプロジェクトが進められたり、「従来は生産過剰で、捨てていた材 料を使う」などということもあります。つまり、「売れる最終的な商品像」から原材料を選択するのではなく、「地域資源だから」といって、地元にある原材料 から商品を考えてしまうのです。
3つ目は、加工技術です。
「新技術を導入すれば、売れる」と勘違いしてしまうのです。例えば、新たな冷凍技術を導入すると意気込んで、高額の製造設備を導入するまではいいのです が、結局、小売店側から、「冷凍は冷凍だから、一段落ちるね~」などと言われて、二束三文に買いたたかれ、設備投資の分が、まるまる損になったりします。
つまり、「技術頼み」になっていて、「果たして、それは価格に転嫁することが可能なものなのか」を、考えていないのです。
しかも、最も深刻な問題は、こうした商品、材料、技術の「3つの選択」をする場合、結局、具体的な商品像が曖昧なために、整合性がないことです。
その結果、例えば「地元の玉ねぎを使った焼酎」とか、「変な色の野菜を使ったカレー」とか、「売れる」「売れない」以前のレベルのものが大量発生したりし ます・・。私は、今まで地方に出かけていった際に、こうした「売れないもの」を何度も試食したことがありますが、「どうしてこんな商品が出てくるんだ」 と、大変苦々しい気持ちになります。
では、どうしてこのような商品が、次から次へと出てくるのでしょうか。背景には、特産品開発が、「地方の生産者」「加工者」「公務員」が中心となった「協議会組織」が中心となっていて、肝心の消費地の販売者や消費者の関与が希薄、という大きな構造問題があります。
つまり、基本が「作ってから売りに行く」という流れのため、初期の段階では販売者・消費者は、あまり声をかけられません。
そのため、価格を決める場合も、原材料費、加工費、流通費等を計算し、生産者や加工者がほしい利益を上乗せして割り出す、「コスト積み上げ型」であることが多く見られます。結果として、平気で「超高価格」になったりします。
もちろん、合理的な理由で高価格になっていれば良いのです。しかし、経費の積み上げだけで高価格になっただけというのは、「作り手」の勝手な都合であって、売ってくれる側や、買う消費者側にとっては受け入れられない話です。販売者も消費者も不在のままです。
そうすると、なんと、商品が高価格になったときの解決方法として「東京や、海外にいる富裕層に販売しよう」という話になったりします。ウソのような本当の 話です。商品自体が富裕層に向けたものではない特産品を、単純に高値にするだけで「目の肥えた富裕層」に、売れるはずはありませんよね。
一方で、「高すぎて売れないのでは」と弱気になると、補助金を使って、各種経費を補助で減額して、見せかけの「安値」で販売をしたりするケースも後を絶ちません。そして、補助金が切れたら普通に値上げをします。当然、売れなくなります。
「協議会組織」の会議の行方によって、価格決定がブレるわけですが、その理由は、商品化の意思決定を行う際、責任者が合理的判断で行うのではなく、「協議会に参加する人たちの合議」を基本としていることにも起因しています。
地方自治体からの依頼などを受けて、特産品の取り扱いをした販売店などは、そのようにブレまくる地方の特産品開発に振り回されて疲れ果ててしまった経験を少なからず持っています。
例えば、前述のような「突然の値上げ」はまだましなほうかもしれません。最悪の場合には年度末になって予算がつきてしまい、急に製造終了をされたり、販売委託をしていた場合などは、「補助金減額」を理由に、急に支払いが中断されたりすることもあったりします。
「予算事業の世界の理屈」は、普通に商売をしている販売店にはまったく通用しません。そのような対応をしていると、販売店に「二度と取引したくない」と思わせてしまうのです。
このような中、実は「特産品」を開発する際に、参考になるケースがあるのです。
「東京八百屋の会」という組織があります。東京都内の小さな「3軒の八百屋さん」が集まったものですが、実は、補助金ゼロで、「自分たちの販売力」をもとに、生産者と連携した独自の「特産品開発」が行われているのです。
具体的に、どんなことをやっているのでしょうか。2014年に行われたのは、それぞれの八百屋さんの店舗で30人×3=90人の「お客様モニター」を募集して、試作品を試食してもらうことです。それを通じて商品を決定。その後は各店舗が「販売数を約束」(これが大事です!)して、生産地に発注、売れ行きに応じて、追加で発注をしていくという方法です。
第一弾で高知の生産者と連携して作った「ミョウガの茎・ピクルス」は販売も絶好調。需要に対応しきれないほどになっていました。
つまり、特産品開発に必要なのは「予算」ではなく、「営業」です。
「東京八百屋の会」のように、小さな店舗グループでも、確実な営業が可能だからこそ、自前で生産地と連携すれば特産品開発が可能なのです。
営業力を持った販売店が最初から連携し、販売できる商品を、生産者と共に作り上げていく。決まった数の販売を契約で約束してくれるため、生産者にとっては リスクも少なく、販売店が商品企画から実際の顧客でのモニタリングもするため、受け入れられればすぐに販売に結びつく。そして販売実績に基づいて、徐々に 製造数を増加させていく。最初から行政予算が入っていないからこそ、すべてが「自然の流れ」となり、無理なく継続できるわけです。
従来のように、「予算の力」で進める「内輪受けの商品開発」と、身勝手な取引を要求することばかりが先行する方法ではなく、これからは営業が先を走り、市場と向き合いながら確実に改善を繰り返して販売数を増加させていく、「当たり前の商品開発」が大切です。
現在のやり方は、地方を活性化するどころか、地方の信用をなくしかねない方法になってしまっています。営業と向き合った、地方の繁栄につがる特産品開発が、求められています。