生まれ変わった東京ゲストハウス事情 「安いだけ」から「選ばれる宿」になった理由

 2003年から国土交通省を中心に行なわれている、外国人旅行者の訪日促進活動「ビジット・ジャパン・キャンペーン」。2010年までに、年間 1000万人の外国人旅行者の訪日を目指す。
 昨今の円高傾向や世界的な不況を鑑みると、08年時点で835.1万人という数字からもわかる通り、今年度終了時点での達成はなかなか厳しそうだ。そうした現状を最も顕著に表しているのが、宿泊施設の稼働率だろう。
 客室単価の高いホテルは、従来まで知名度やブランド力をもってビジネスユースなどを中心に顧客を囲っていたが、この不況下において客室稼働率が軒並み下がってきている。
 サービスの向上、料金体系の見直しを図ったところで、旅行や出張の需要自体が激減してしまっては、どうしようもない。
 そんななか、にわかに評価が高まっているのが「ゲストハウス」である。ゲストハウスと聞くと、快適性やプライバシーを求めずに安く泊まる宿というイメージを抱く方が多いのではなかろうか。そこに集まるのは、“二段ベッドが詰めこまれた小さな部屋で過ごすバックパッカー”たちである。
 だが最近では、デザイナーズやビジネスホテルのリノベーションなど、「安かろう」「ガマンしよう」という従来のイメージとは違う、新たな形態のゲストハウスが増えている。東京のゲストハウス事情を探った。
 戦後の復興を支えた街、「山谷」。高度経済成長期の到来によって高まった労働者の需要に呼応し、簡易宿泊所が数多く立ち並ぶ。そんな山谷エリアで、三代にわたって旅館を経営してきた家族がいる。その三代目が、グラフィックデザイナーとしての見地を活かしたゲストハウス「カンガルーホテル」を設立した。
「“女性独りや子ども連れで歩くことはオススメしない”とされてきた山谷ですが、それは完全にイメージの一人歩きです。実際のところ、治安は問題ありませんし、お店を始める若い人たちなど、山谷にも新たな潮流が起き始めています」(スタッフの小菅恵美子さん)
「カンガルーホテルがオープンしてから、ホテルの前の道を家族連れが多く歩くようになったのがうれしい」と語る小菅さん。一本路地に入ると薄暗くなってしまう街に、道に面したガラスから光が漏れ出る。遠くからでも見えるその灯りが、人の導線を変えたのだ。宿は街のあり方を変える1つのきっかけとなる。
 その昔、“宿場町”と呼ばれる街があった。鉄道も自動車も走っていない時代、主要街道を通る人々が宿泊・休憩のために立ち寄った街である。「ここ北品川は、東海道の最初の宿場『品川宿』(しながわしゅく)があった場所です。“宿場町マインド”が現在まで引き継がれているためか、海外からの旅行者が商店街を闊歩することに抵抗感を示す人は皆無でした」(オーナーの渡邊崇志さん)
 都内有数の巨大ターミナル「品川」のお膝元にして、昨今の北品川エリアの若者離れは著しい。そこで「ゲストハウス品川宿」は地元商店街との協力体勢を確立、同町内の協力を得ながらゲストハウスを設立し、地域の活性化を図っている。
 ユニークなのは今後の展望だ。旅に出たことのある人間は「いずれは自分も宿を」と考える人が多い。そのような宿経営希望者を全国から集め、育て、全国に送り出すゲストハウスの教育機関を立ち上げたいと渡邊さんは語る。
 旅行者心理は旅行者が一番わかっている。宿のスタッフに旅行経験者や旅好きが多いのは、当然のことだろう。都内4ヵ所にゲストハウスを運営する「サクラホテル」の評判と客室稼働率の高さには、そんな理由がありそうだ。
「スタッフのほとんどはワーキングホリデーや海外留学経験者です。異国の地で過ごす旅行者心理を汲んだ、ソフト面でのサービスには定評をいただいています。目の色、言葉、文化などの違いは、“旅人”という共通項でカバーできるものです」(サクラホテル池袋 マネージャーの鎌田智子さん)
 ビジネスホテルを改装した同ゲストハウスに集まるのは、必ずしも外国人旅行者だけではない。宿泊費の安さに惹かれ、出張や受験などの一時滞在のために泊まっていく日本人も多いという。“元旅人”が当時の高揚感を思い出すきっかけにもなりそうだ。
 今回、都内のゲストハウス3軒に話を聞いた。それぞれ設立の過程や運営形態、特徴は異なるものの、「日本と海外をつなぐ存在になる」という思い、そして一番安い部屋で3000円に少し足して泊まれる点は同じだ。
 旅行者は宿に対して安心感を求める。移動した後の「ホッと一息」に必要なのは、燃える夕焼けより真っ白なシーツではなかろうか。
 羽田空港国際線ターミナルの拡大に伴って都内へのアクセスが格段に向上、大幅な旅行者増加が見込まれる。ゆえに進化を余儀なくされ、価格が安定して安いゲストハウスに注目して見るのも面白い。

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