田中みな実に松本まりか、嫌われ“ぶりっこ”が「あざとかわいい」で支持されるワケ

 10月10日『あざとくて何が悪いの?』(テレビ朝日系)のレギュラー放送がスタートする。山里亮太(43)、田中みな実(33)、弘中綾香アナ(29)が「あざとい男女」について探究するバラエティー番組だ。 【写真】田中みな実の“肘ブラ”、松田聖子と娘・神田沙也加の運動会姿

注目される「あざとかわいい」

 過去の単発スペシャルでは「怪演女優」松本まりか(36)の「あざとかわいい」インスタライブが話題になったりした。レギュラー化が決まった際には、山里が、 「私、この番組はHOW TO番組だと思っているんです。“あざとい技”って、知っておくとめちゃくちゃ得なんだってわかりますよ。みなさん、この番組を見て、どんどん幸せになってください!」   と、語っていたものだ。  また、人気上昇中のアイドルグループ・日向坂46の『アザトカワイイ』もアルバム曲ながらCMに使われ、ヒットしている。「あざとかわいい」はまさに今年の注目ワードであり、それができる女子がもてはやされる時代が到来したのだ。  しかし、かつて、こうした女子は「ぶりっこ」などと呼ばれ、同性からはむしろ嫌われていた。1980年にデビューした松田聖子も当初は「ぶりっこアイドル」として、世の女性から総スカンだった。  漫才コンビの春やすこ・けいこは「聖子むかつくわ~」とネタにしたし、横浜銀蝿の弟分グループ・紅麗威甦(グリース)は『ぶりっこROCK’N ROLL』という便乗ソングをリリース。その歌詞には「かまちんカット」(聖子ちゃんカットの別の呼び方。本名の蒲池法子に由来する)や、「涙出さずに~」など、聖子ふうぶりっこ仕草の描写があった。  その後、聖子は圧倒的なスター性と歌唱力で女性も味方につけ、天下をとったが、彼女はあくまで別格だ。ポスト聖子としてデビューしたアイドルが売れず「ツッパリ系」の中森明菜が支持されたように、ぶりっこは女子的基準では反則ワザもしくは禁じ手のように見なされた。ぶりっこそのものが全面的に支持されたわけではなかったのである。  それどころか、昭和の終盤から平成の前半にかけては、アンチぶりっこ的な女性が憧れの対象となった。浅野温子と浅野ゆう子の「W浅野」ブームやドラマ『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)のヒロイン・赤名リカ(演じたのは鈴木保奈美)の人気はその象徴だ。この流れは江角マキコを経て、米倉涼子あたりまでつながっていく。  その一方で、ぶりっこ系は苦渋をなめ続けることに。2000年代なかばには、さとう珠緒が「女が嫌いな女アンケート」でトップになったり、当時、TBSの局アナだった小林麻耶が「嫌いな女子アナ」1位に選ばれたりした。

時代とともに変わる「かわいい」の概念

 そんななか、転機となったのが2009年である。この年、新語・流行語大賞に「女子力」がノミネートされた。女子力の解釈はさまざまだが、ぶりっこ的な要素ももちろん含まれる。そういうものを肯定する空気が生まれたのだ。  また、AKB48が『RIVER』で初のオリコン1位を獲得。第1回の選抜総選挙も行なわれ、国民的グループへと駆け上がっていく。これは2000年前後にハロー!プロジェクトがモーニング娘。や松浦亜弥で作った「女子も憧れる女子アイドル」という流れをさらに加速させるものでもあった。こうして「カワイイは正義」という雰囲気が世の中にあふれ始めたわけだ。  そして何より、この年は「あざとかわいい」を考えるうえで大きな出来事が起きた。田中みな実のTBS入社だ。この人も当初は世の女性を敵に回したが「ぶりっこ」キャラを貫き、フリーアナ兼女優として活躍する今、多くの女性にリスペクトされる存在となった。  興味深いのは、飛躍できた理由についての本人の分析だ。 「私はたぶん、年齢だと思います。年齢を重ねて、失恋を経験して、少なからず、ちょっとかわいそうな人っていうふうに見られ始めたところから、やや上向いてきたのかなという気がしています」(7月31日『人気の秘密を考察!「売れっ子ちゃん」』TBS系)  たしかに、そうかもしれない。オリエンタルラジオ・藤森慎吾と破局したのは、今から5年前。彼女はそこまで、若くてかわいいだけのぶりっこというイメージで見られがちだったが、そこからは失恋に傷つき、それを乗り越えて仕事に頑張る生身の女性という見方も加わった。おかげで、同情や共感も得られるようになったのだ。  そういう意味で、破局後、次の恋にいかなかったのもよかったのだろう。彼女は女子力を自分の外見と内面を高めるために使い、その過程や成果をSNSや写真集で発信。それを世の女性たちが参考にするようになった。また、女優としての「怪演」で面白さも供給している。  これは、松本まりかについてもいえることだ。若いころはその甘い声と顔立ちが個性的すぎて、なかなかいい役がつかなかったが、声優の仕事をしたり、ロンドン留学などで自分を磨く努力を重ねたりしながら、その個性を怪演に生かせるようになった。つまり、彼女の「あざとかわいい」も見る側にとっての面白さにつながっているのだ。  そして、聖子もまたしかり。当時はぶりっこと呼ばれたが、じつは彼女こそ「あざとかわいい」の先駆者だった。歌やスキャンダルを通じ、その「あざとかわいい」で長年、世の中を楽しませ続けてきたのだ。だからこそ、同世代のアイドルのほとんどが現役感を失うなか、芸能生活40年の今も健在ぶりを示せるのだろう。  冒頭で紹介した山里の発言のように、いまや「あざとかわいい」は女性が幸せになるための「ワザ」である。かつて反則とも見なされた「ぶりっこ」は、そういう素敵なスキルへと進化したのだ。 PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。

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