百貨店の閉店ラッシュが止まらない

次々と不採算店舗を潰し、なんとか黒字化を図る百貨店業界。かつて庶民の憧れだった場所に、いま人影は少ない。百貨店は「なんでもある楽しい場所」としての役割を終えてしまったのかもしれない。

「幸せな時代」は終わった

「私たちにとって最も幸せだったことは、このお店で皆さまとお会いできたこと。皆さまと共に歩ませていただいた大切な時間が消えてしまうことはありません」

2019年9月30日、神奈川県の伊勢丹相模原店が閉店した。閉店セレモニーで店長が冒頭のように挨拶したのち、地元の買い物客が行き交った入り口の扉が閉ざされる。29年の歴史に幕を下ろした瞬間だった。

伊勢丹相模原店が誕生したのは’90年9月、バブル崩壊前夜とも言える時期のことだった。百貨店にとってはいちばん幸せだった時代かもしれない。

駅から伸びるコンコースを、おしゃれしたカップルや家族連れが闊歩する。土日には、店舗前に開店待ちの行列ができた。

三越伊勢丹に限らず、かつて百貨店やデパートは、庶民にとって親しみやすくも、どこか「憧れの存在」だった。

著書に『胸騒ぎのデパート』(東京書籍)がある、放送作家の寺坂直毅氏はこう言う。

「昔のデパートは、豪華なシャンデリアが架かっていたり、エレベーターガールがいたり、他の建物とは違う高級感がありましたね。化粧品や革製品が混じったような、独特な匂いも特別な場所に来た気分にさせてくれました。

それでいて、ファミリー向けの商品があったり、食堂に『お子様ランチ』があったり。屋上に遊園地があるところも多かったですよね。特別だけど、家族で気軽に入れる場所でもありました」

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だが――。以前のように、人々はデパートに行かなくなってしまった。もはや「瀕死」の状態にあるアパレル業界の不況が、このことを象徴している。

ファッション流通コンサルタントの小島健輔氏は次のように語る。

「9月末の伊勢丹相模原店、そして府中店の閉店が顕著な例ですが、百貨店の『閉店ラッシュ』がいよいよ止まらなくなってきました。’99年には311店を数えた日本の百貨店も、’20年には200店舗を割る勢いで閉店が続いています。

こうした流れのなかで、百貨店アパレル最大手のオンワードが600店の閉鎖を発表しました。

4期連続の赤字が続く三陽商会でも、岩田功社長が責任を取って辞任する事態に追い込まれています。百貨店との取引が大きいアパレル業界は、『共倒れ』の危機にあるわけです」

’97年には9.2兆円規模だった全国の百貨店売上高も、’18年には約6兆円まで減少。三越伊勢丹でいえば、前出の2店舗に加え、’20年に新潟三越の閉店が決定している。

不採算店舗をリストラした結果、’19年3月期連結決算で三越伊勢丹HDは134億円の黒字を計上したが、根本的な解決にはなっていない。なにより、一度畳んでしまった店舗は、二度と戻ってくることはないのだ。

「良いモノ」は百貨店にしかなかった

いつの間にか時代に取り残され、存在価値を失ってしまった百貨店。そう言うと厳しすぎるかもしれないが、いざ胸に手を当てて考えてみると、最後に百貨店に行ったのがいつだったか思い出せない。なぜそうなってしまったのか。

ファッションビジネスコンサルタントの北村禎宏氏はこう言う。

「昭和30~40年代、デパートは確実に『ハレの場』でした。家族連れ立って『良いモノ』、特に洋服を買いにいく。自分のためだけではなく、ワイシャツや商品券など、人にあげるものを手にいれる場所でもあったわけです。

逆に言えば、かつては、良いものを買うためには、百貨店に行くしかなかったんです。地元の商店街で特別なものは売ってないし、たとえばダイエーのような量販店は日常的な生活用品を買う場所でしかなかったですから」

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スーツを着ない世代

かつて百貨店が販売していたシャツや靴、スーツには「信頼感」があった。それをオシャレな包装紙で包んでもらうことが、高級品の証でもあった。ところが、百貨店は利益を優先するあまり、徐々にその品質を落としていく。

「’80年代前半に、百貨店が商品を買い取りから委託仕入れに変更したため、納入業者の負担が大きくなりました。業者は返品リスクを考え、原価を切り下げるしかなくなったのです。そこにバブル崩壊が追い打ちをかけた。

売り上げが落ちるなか、伊勢丹が音頭を取り、アパレル側の納入掛率を下げ、利幅で稼ごうとした。’80年代半ばまで原価4000円で作っていた1万円のシャツが、今では2000円、下手するとそれ以下で作られています。

一般の客からしても、『この品質で1万円?』と感じる人が増えたわけです」(前出・小島氏)

そこに、百貨店に憧れを抱いていた世代の高齢化が押し寄せる。定年退職した世代は、スーツやネクタイをこまめに新調する必要がない。

新たな顧客になるはずだった若い世代は、少子化が進んでいるうえ、ユニクロや外資系ファストファッションで服を買う。

甲南女子大学人間科学部教授の米澤泉氏は次のように語る。

「若い世代は、生まれた時からユニクロなどの安い量販店で服を買うのが当たり前になっているわけです。大半の人にとって、服は昔よりも特別なものではなくなってしまった。

そのファストファッションですら、代表格だった『フォーエバー21』が日本から撤退するなど、めまぐるしく入れ替わっている時代です。百貨店に入っているブランドの洋服は、本当にファッションが好きな一部の層が買うものになりつつあるのではないでしょうか」

アパレル売り場はどんどん縮小

みずほ総研主任研究員の岡田豊氏もこう語る。

「デパートや百貨店は、客に新しい商品を『提案』する場所でもありました。

ところが、特に若者世代は、ネット通販のヘビーユーザーも多く、『その商品は知っている』『店頭で買うなんて、割高だしダサい』と思っている人も多いでしょう。悲しいですが、それが現実です」

私たちの日常の「装い」も、この間で大きく変化した。「堅い業界」の代表格だった銀行ですら、ノータイ・ノージャケット出勤が当たり前の風景になった。

スーツ、ネクタイピン、カフスボタン、ベルト、革靴……。値の張る服飾品が、徐々に必要なくなっていったのだ。

「最近は百貨店でも、テナント店舗を入れる『ショッピングセンター型』の複合店舗が増えてきています。場合によっては、ニトリやユニクロなど『百貨店らしくない』テナントが入ることもあるわけです。

一方で、百貨店が商品を仕入れて構えるアパレルのスペースは急激に縮小されている。いわゆる百貨店ブランドは、5年以内に店頭から消えると私はみています」(前出・小島氏)

デパ地下だけ人がいても

アパレルの売り上げが落ち、コストカットを進めるにつれ、量販店のテナントが増えていく。特別な場所だったはずの百貨店が、どこにでもあるようなショッピングセンターに成り果ててしまう。

不振のアパレルに代わり、百貨店の食い扶持を稼いでいるのは「デパ地下」だ。平日の夕方でも、デパ地下だけは多くの客でごった返す。

経済産業省の商業動態統計調査によると、およそ40年前の’80年、百貨店・スーパーの売り上げ比率は食料品30.8%に対し、衣料品が42%だった。

これが’18年には、食料品59.4%、衣料品20%という割合に変化した。アパレルのテナントよりも、デパ地下のほうが3倍も売り上げている計算になる。

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考えてみてほしい。デパ地下といえば大きくてもせいぜい2フロア程度だ。対して、地上階のほとんどはアパレルで埋め尽くされている。それなのに3倍もの売り上げ差があるのは、まさにアパレルの惨状である。

「デパ地下が好調なのは、生活のスピード感が早くなり、1年に数えるほどの『ハレの日』ではなく、ちょっとした特別感をより頻繁に味わいたいと思う人が増えたからではないでしょうか。

ちょっと贅沢したい、と思ったらデパ地下の食品を買えば済んでしまうわけです。

各百貨店のデパ地下ではテナント側も利益がおおむね出ているはずです。その理由は、家賃比率の安さもあるでしょう。アパレルテナントの家賃は売上高の4割前後、一方で食品は2割程度と言われています。

アパレルは半年ごとに在庫処分に直面しますが、食品は毎日少量の在庫で回せるのでロスも少ない」(前出・北村氏)

とはいえ、かつてのアパレル中心の売り上げをデパ地下がカバーできているわけではない。ほとんどの百貨店が、その街の一等地に店を構えている。その家賃、あるいは持ちビルだったとしても諸経費を、これからも払い続けられるのか。

「百貨店アパレルを復活させるのはなかなか難しいでしょう。百貨店側とアパレル側で相互依存があまりにも強すぎて、ネット通販など販路拡大が後手に回ってしまった。

今、三陽商会が不調に苦しんでいますが、一因は’15年にライセンス契約が終了したバーバリーの『一本足打法』に固執していたことです」(北村氏)

「特別感」が薄れた

今や、百貨店ができることは、かろうじて好調なデパ地下や、インバウンド需要が大きい化粧品を1階で販売するだけ。かつて買い物客に「特別感」を与えた、2階以上のフロアはもはや機能していないようなものだ。

かつてのデパートではおなじみだった「屋上遊園地」は現在どうなっているのか。松坂屋名古屋店には、この屋上遊園地が今でも残っている。

管理業務に約30年間従事し、百貨店の趨勢を見守ってきた田中国彦氏はこう述懐する。

「バブル以前までは今と違って、子供たちの遊ぶアミューズメントパークはそんなにありませんでした。家族連れで買い物に来て、そうすると子供がぐずるから、屋上に連れていく。

屋上の乗り物だけで、売り上げが1日数十万円単位になったこともありました。それだけデパート全体が賑わっていた証拠でしょう」

それが今では、子連れで何フロアも上下するのはつらい、と思われるようになった。これは高齢者も同じだろう。「ららぽーと」のような、郊外で横に広いショッピングモールが人気を集めるのはこうした理由がある。

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庶民のちょっとした憧れから、価格的にも物理的にも「入りづらい」場所になってしまった百貨店。何かが必要になったら、とりあえず百貨店に買いに行く。そんな「なんでもある場所」の役割は、すでにネットに取って代わられている。

前出・寺坂氏も次のように言う。

「今は、おしゃれだけど無機質な内装で、逆にファミリー層が入りづらくなったデパートが増えたような気がします。伊勢丹の現代的なスタイルが、全国のデパートに広まっていくんです。

こうしたなかで、デパートで商品を買ったり買ってもらったりする特別な価値観が忘れられていくのは残念ですね。これも時代の流れといえばそうなのかもしれませんが……」

良くも悪くも、百貨店業界の動向を左右するのは、いつだって伊勢丹だ。その伊勢丹の経営が立ち行かなくなったら、それこそ日本の百貨店は終わりを迎えてしまう。

「週刊現代」2019年11月16日号より

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