石巻・月浦、傷深く 慶長遣欧使節出帆400年の陰で

慶長遣欧使節団出帆400年の祝賀イベントが相次ぐ中、石巻市月浦地区の住民が複雑な思いを抱いている。サン・ファン・バウティスタ号の出帆地は東日本大震災で大きな被害を受けた。50年前は地区を挙げて節目を祝ったが、今回は地元で記念行事の予定がない。復興途上で生活の再建に追われ、歴史的な偉業に思いをはせる余裕もないのが実情だ。
 牡鹿半島北西部の入り江にある月浦。出帆日に当たる10月28日、市中心部のホテルであった400年祭パーティー会場とは対照的に、サン・ファン号が大海原に旅立った浜は静まり返っていた。
 被災した建物が撤去された更地が広がり、漁港の復旧工事が進む。サン・ファン号建造の関係者が使ったと伝えられる「南蛮井戸」はごみが浮かび、周りにはがれきが残る。
 行政区長の相沢栄治さん(66)は「井戸も一度はボランティアが掃除してくれたが、観光客が来ると、ざまが悪い思いをしている」と申し訳なさそうに語り、「市から記念行事に関する話はなかった」と残念がる。
 出帆350年の際は、住民が支倉常長らに扮(ふん)して和船に乗り込んだ。記念行事を刻む石碑も建てられた。当時高校生だった相沢さんは「みんなで祝った記憶がある」と懐かしむ。
 震災で地区の世帯数は34から8に激減した。「今は自分たちの生活が第一」と相沢さん。住民の平均年齢は70歳を超え、漁師の男性(63)は「頼まれても記念行事に協力できるような状況ではない」と率直に話す。自宅は全壊し、計画される集団移転の早期実現を切実に願う。
 出帆400年に合わせ、石巻市などでつくる実行委員会はパーティーのほか、10月27日に前夜祭を催し、11月3日には50年前と同様の武者行列を市中心部で企画。宮城県などの実行委は2日、県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)で記念式典を開く。
 月浦で記念行事が開催されないことについて市は8月、住民に「漁港の復旧工事が完了せず、安全上の問題がある。集団移転工事の妨げにもなる」と説明した。
 実行委は2015年まで関連事業を展開する。市商工観光課は「井戸の案内板は建て直した。今後も出帆の地として整備する。3年の間に神事などを催したい」と話している。

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