社内の企画会議で“斬新なアイデア”が生まれない合理的な理由

 新しい企画やアイデアを考える際によく行われるのが「会議」だ。「三人寄れば文殊の知恵」のことわざの通り、一人で悶々(もんもん)と考えるよりも何人かで集まった方が良いアイデアが生まれる──。多くの人が、そう信じて疑わないだろう。

 以前のコラムでも述べたように、アイデアを含む世の中の新しいものは基本的に「組み合わせ」によって生まれる。そう捉えれば、「複数の人がさまざまな知恵を出し合い、それらが組み合わさってより良いアイデアへと昇華する」という企画会議は、まさにこの組み合わせ理論とも合致する。

 ところが、ふと社内での企画会議を振り返ってみると、この理論がどうも当てはまらないのだ。会議によってそれまで誰も思いつかなかった“斬新なアイデア”が生まれた、という例がほぼ記憶にないのである。

 元のアイデアがブラッシュアップされ、皆が納得する結論にいたることはままあるが、会議という場で度肝を抜くほどの突き抜ける案が導き出される場面をあまり見かけない。それは一体、なぜなのか。

 その疑問を解くヒントが、組織論や経営に関するビジネス書でベストセラーを連発しているコンサルタントの山口周氏の書籍に書かれていた。

 「集団における問題解決の能力は、同質性とトレードオフの関係にあります。(中略)『似たような意見や志向』を持った人たちが集まると知的生産のクオリティは低下してしまうということです」(『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』山口周著/KADOKAWA)

 数多くの事例をもとにした心理学者の研究などによって、同質性の高い人が集まると意志決定の質が著しく低下することが明らかになったという。つまり、同じ業界の同じ会社で働く者同士が集まるような会議では、良いアイデアはなかなか生まれにくいのだ。

 これならば、組み合わせ理論とも矛盾しない。同じ会社で似たような仕事をしている者の考えを組み合わせても、そこから生まれるパターンは限られている。せいぜい、すでに世の中に存在しているものの模倣や改変が関の山だろう。社内で行われる企画会議で画期的なアイデアが生まれないのは、おそらくこうした理由からだと思う。

 しかも、社内の企画会議は、アイデアを練ることだけでなく、皆で顔をつき合わせて相談することで「情報共有」と「合意形成」を得ることが主な目的である場合も少なくない。そうなると、ますます突拍子もない考えや空気を読まない発言を控えるムードになる。

社内の企画会議では“厄介な意見”こそ重要

 では逆に、斬新なアイデアが生まれる企画会議とは、どんなものだろうか?

 それは、まさしくこれまで述べたことと反対の状況設定をすることがヒントになるだろう。業界や職種の異なる人間が参加し、立場を越えて自由に意見を述べる。そうした組み合わせの中から革新的なアイデアが生まれるかもしれない。

 実際、私自身の経験でも、社内での企画会議より異業種や全く畑違いの専門家と会い、ある問題や課題について意見交換をした時の方がはるかに面白いアイデアへ結びついたことがある。それまで思いもよらなかった組み合わせが得られたのだ。

 もう一つのポイントは、少数派の意見や異論など、出席者の“違和感”を大切にすること。その場ではまだうまく言語化できず、直感に近いような意見ほど、会議という場では発言するのをためらってしまうものだが、実はそれこそがアイデアを生む種なのだ。

 会議の参加者の多くがすぐに賛成・納得するようなアイデアは、世間の大半の人もイメージを共有でき、共感してもらえるものだが、その反面、そうしたアイデアはさほど独創的ではなく、違和感や驚きといった“差異”はない。

 画期的な面白いアイデアを考える上では、必ずしも会議での多数派(大衆的)意見が正しいとは言い切れない。「皆で集まり、相談して決める」という民主的な思考プロセスは、実は凡庸なアイデアを導き出す可能性も大いに秘めているのである。

 もし、社内の企画会議という場で、本当に“斬新なアイデア”が生まれることを期待するのなら、議論を混ぜっ返すような厄介な意見にこそ耳を傾けるべきなのかもしれない。

タイトルとURLをコピーしました