「社畜」という言葉が世間に広まり始めてから30年くらいになる。作家、安土敏氏の作品で登場した言葉を評論家の佐高信氏が広めたという説が有力だ。
企業に飼いならされ、思考停止し、良心を放棄して家畜のような状態と化した会社員を揶揄(やゆ)した表現だった。この言葉が流行した当時、私は10代後半だったが、オピニオン誌などで彼の論考を読むたびに、この社畜という言葉を目にしたものだった。
しかし、いま思うと当時の社畜には「ぜいたく」とも言える点があった。それは「にんじん」「あめ玉」がぶら下がっていたからだ。正社員を前提とした議論であり、雇用は約束される上、社宅や社員食堂、保養所などの福利厚生も充実していた。会社が用意するあめ玉も含めて、飼いならされた状態を社畜と呼んでいた。
社畜を飼育するための小屋や餌を企業が用意していた時代だった。「飼いならす」と言うからには、飼う環境が用意されていたのである。それは「報われる社畜」だった。
このような、小屋や餌付きの社畜はいまだに大企業を中心に散見される。ただ、今日の社畜の多くは小屋も餌もない、放し飼い状態の社畜だ。さらには、長生きさせるつもりがない飼い主だっている。
一方で「ポジティブ社畜」だっている。忙しく働いている自分に酔っていて、やや自虐的に、かつ誇りを持って社畜を自称している。楽しく働かされているタイプだ。残業中にエナジードリンクの写真をSNSにアップする輩などがそうだ。
ここで、これまで私が遭遇した社畜たちの武勇伝(社畜あるある)を列挙しよう。
・上司たちのカラオケの持ち歌を全て記憶し、カラオケボックスに先に着いて、その持ち歌を事前に全曲入れている奴。
・上司のFacebookの投稿に「いいね」を真っ先に押し、コメントの書き込みは年功序列を意識する奴。
・着ている服が、ほぼコーポレートカラーの奴。
・結婚式のスピーチで、会社のアピールを忘れない奴。
・自分用の社訓プレートを作る奴。
・家族の名前を社名にちなんだものにしようとする奴。
・家で使うものは、可能な限り自社製品や関連企業のものでそろえようとする奴(社内販売で買わされたり、在庫が配られているという説もある)。
こんな奴、本当にいるのかと思うだろ? いたんだよ、実際に。痛々しいレベルだ。逆に言うと、こいつらもスゴイが、ここまで彼らを手なずける会社もなかなかスゴい。
●社畜でも幸せになれる
一方、「自由な働き方をしましょう」と言われても、戸惑ってしまうのではないだろうか。いきなり会社から離れるのは困難だ。しかも、フリーターやノマドなど自由な働き方が何度も話題になったが、私達はその限界に気付いてしまっている。
手っ取り早く幸せになる方法は、今の会社で楽しく生きる方法を発見することではないだろうか。そう、いまここを天国にするのだ。
その方法について私は『社畜上等!』(晶文社)という本にまとめた。我ながらすごいタイトルだ。しかし、過激なタイトルなようで、みんなの心を鷲づかみにしているのではないかと思う。
私たちは社畜として生まれてくるのではない。社畜になるのだ。どうせ社畜になるなら、かわいいペットとして飼われようではないか。いや、飼い主を手なづけるくらいの覚悟でいこうではないか。
この本でススメているのは「会社に使われるな、使え」という発想だ。利益が出るなら、逆に何でもいうことを聞いてくれるのが会社というものだ。そこで、自分のやりたいことをやればいい。
●「ダメな社畜」になってはいけない
このような話をすると、こういうと、いかにもデキる社員が会社と対等に渡り合う話に聞こえてしまうだろうが、そうではない。社畜なら社畜なりに、自分が飼育してもらえる理由をポジティブに理解して振る舞うことが重要だ。
まずは自虐的にならずに、客観的に自分が会社にいられる理由を考えよう。人手不足の時代なので、飼い主側にとって、あなたに辞められるのは痛い。それだけでなく、自分が果たしている役割があるはずだ。これを詳細に把握すると、自分を客観視できる。
そのためにも「エア転職」をオススメしたい。人材紹介会社に登録し、面談をする、転職サイトに登録する、友人に相談する。この過程で自分のキャリアの棚卸しができる。自分の能力や経験がどれくらい役に立つのか立たないのかがよく分かる。今の職場の魅力も分かる。前述した、自分が組織に居られる理由も分かる。
社畜が悪いのではない。“ダメな社畜”がいかんのだ。
(常見陽平)