秀吉の土地・収穫調査実態明らかに 「指出検地」文書を発見、全国初

 豊臣秀吉が太閤検地の実施以前に、大名らに土地の面積や石高(収穫量)を自己申告させた「指出(さしだし)検地」の具体的な内容を記した文書が、兵庫県たつの市の市立龍野歴史文化資料館が3月に購入した史料の中から全国で初めて見つかり、同市が15日、発表した。
 指出検地は他の戦国大名も行っていたが、秀吉はその後、奉行を派遣して厳しく調査し、石高を確定させる太閤検地を導入した。専門家は、秀吉の土地支配の変遷などを知る上で貴重な資料だとしている。
 文書は、天正13(1585)年に作成されたとみられる「淡路二郡指出帳」。淡路国(兵庫県)を与えられ、その後阿波国(徳島県)に移された秀吉配下の大名、仙石秀久が作成、提出した。
 秀吉の朱印が捺印(なついん)されており、その後の淡路国の大名、脇坂安治に土地を与える旨が記されている。土地の広さや収穫できる作物、石高も記載されている。
 たつの市と共同で調査に当たった東京大史料編纂(へんさん)所の村井祐樹助教は「豊臣政権初期の土地支配や大名への支配のあり方が詳細に確認できる貴重な資料だ」と評価している。

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