1990年9月、佐々木広告社に入社
「本日から入社することとなりました八木です。どうぞよろしくお願いします。」
僕はごくありふれたあいさつを行い、朝礼の時間をやり過ごした。そのあと総務部長から呼ばれ給料などの打ち合わせになった。僕は最初の約束どうり、今までの実績を下回らないということで納得していたが、実際提示された給料(月給)は今までの実績よりも10万円ほど下回っていた。僕はうまくはめられたと思ったが、ここでは後の祭り、従うしかなかった。
「畜生。ばかにすんなよ。」
ここで、僕は佐々木社長は信じられる人物ではないと悟ったのである。
給料ひとつ取ってもこの調子なのだから、ほかのことはいわずもがなである。製作室を作るとか言ってはいたが、実際与えられた席は企画開発部という飛び込み営業専門部門の横に机を付け足されただけの場所で、とても仕事などできる状況ではなかった。僕は思った。
「えらい所に入っちまったなあ。
それでも、今すぐ行動を起こすほど若くはなかったので、しばらくは傍観していることに決めた。
それから2ヵ月ほどたって、大体会社のことが分かって来た。会社にはかならず、結婚もせずずっといる、通称お局様という人がいるものである。この会社には太田さんというお局様がいて、僕は彼女から情報を仕入れとんでもない会社であることが分かって来た。
まず一つめは、社長が新興宗教に入信していて行動がちょっと変だ、ということ。
二つめは、昔いた常務は社長の嫌がらせが原因で、ノイローゼのため自殺した、ということ。
三つめはアースリースという大手のりース会社の資金提供を受けた会社だということ。したがって、グルーブ会社にはサラ金もある、ということ。
そしてさらに驚いたことは、大松副部長と森副部長はその宗教に入信しており、社長に毎日、その日会社でだれかこんなことを言っていたとか、給料に不満をもっていたとか、逐次報告することを条件に昇進した、という事実である。これには僕は心底驚いていた。
「そういえば、皆、ひそひそと話をするし、絶対社内では笑わないし、暗い会社だなあと思ってはいたけど、何か1990年代の出来事じゃない見たいだね。」
そのとき、太田さんが人の気配を感じたらしく、
「しっ!。」
と、辱に人差し指を当て横を向いてしまった。案の定、森副部長がそばにやって来て、
「今、何しゃべっていたの。」
早速チェックが入ってしまった。「うかうか話もできねぇな、この会社は。」僕は心の中でこう思った。
もう一つ、僕は入社のときから一つだけ大きな疑問をもっていた。それは、三上部長と業務の吹雪さんのことである。僕は以前夜の11時すぎあたりによく、三上部長と吹雪さんが夜の歓楽街国分町で二人、ベロベロに酔っ払って抱き合っているのを目撃していたのである。それも数回。僕はもって生まれた軽い性格からそのとき、
「三上部長、いつもお世話になっていま~す。」
とか、あいさつまで交わしていたのだ。そんなこともあり僕は、入社してしばらくは、三上部長と吹雪さんは結婚しているのだろうと思っていた。吹雪というのは名字ではなく名前であると勝手に誤解していたが、実は吹雪というのは名字であり、名前ではないことが分かった今、彼らに対してどんな対応をしたらいいのか分からない。三上部長は結婚しており、中学生になるお子さんもいるということで、立派な不倫である。よくもまあ、個人の行動にチェックが厳しいこの会社でそんなことが平気でできるのか、不思議に思っていた。
この話を根掘部長にした所、根掘部長はさほど驚きもせず、
「三上さんは女癖が悪いから、あり得る話だな。前の会社も、取引先の娘さんに手を出して、クビになったみたいだから。」
使はその話を聞いて納得した。そして、心の中でつぶやいていた。
「全く人材の宝庫、みたいな会社だな。」
会社のムードとは裏腹に、仕事のほうはうまく行っていた。新田自動車のキャンペーンのコンペに勝ち、3月まではとても忙しくなった。さらに、僕はMETの住宅展示場の広告担当にもなり、ほとんどパンク状態の日々が続いていた。そんなおり、衝撃の事件が起こったのであった。
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