3月下旬、米国のオバマ大統領と中国の習近平国家主席が訪問先のオランダ・ハーグで会談し、「新型の大国関係」の強化で一致したという報道が流れた。もっともらしいが、どうとも受け取れる外交特有のレトリックかと思っていたら、その後の展開で中身がわかってきた。新型関係の核心はどうやら、「米中サイバー戦争の休戦」交渉である。
国家間のサイバー戦争というのは、軍のサイバー攻撃部隊が相手国のインターネットの主要ポイントに侵入し、大量のバグ情報などを流して機能不全にする。軍などの政府機関、さらには金融市場など民間のサイトも攻撃される。やられた方は、やはり軍のサイバー部隊がやり返す。通常の戦争と違って、宣戦布告はないし、正体を明かさない沈黙の戦争でもある。そんな戦いを激化させたところで、お互いの利益になるはずもないから、いい加減にしようじゃないか、と米国側が中国側に申し入れたのだ。
訪中したヘーゲル米国防長官は8日、中国の常万全国防相と会談した際、「誤解が判断ミスに至る危険を減らすため、米中双方がサイバー能力を互いに開示すべきだ」と申し入れた。この日の北京の人民解放軍国防大学での講演で、長官はサイバー攻撃に関する米軍の戦略をすでに中国当局者に説明したことを明らかにし、中国軍も同様にサイバー能力の透明性を向上させるよう促したという。
ヘーゲル氏は訪中に先立つ3月28日に「国防総省は米政府のネットワーク外でサイバー作戦を展開することを控える」との方針を示し、他国にも同様の措置を促している。これに対し、中国外務省の洪磊報道官は3月31日、「インターネット上で平和を維持することは中国と米国双方の利益にかなう」と歓迎した。
だが、たかが中国外務省報道官発言である。人民解放軍の見解でも何でもないし、党中央の決定を受けたわけでもない。それを先刻承知のヘーゲル氏は今すぐ「休戦」は無理でも、まずはお互い手の内を見せ合おうじゃないか、というわけで、米側から情報開示したうえで、北京に乗り込んだ。
インターネット空間はもともと国境を超越しているのだから、何も本国発で相手国を直接攻撃するわけではない。それはちょうど、公海で遊弋(ゆうよく)する原子力潜水艦から発射する弾道ミサイル攻撃のようなものだが、サイバー攻撃の正体と所在地を突き止めるのははるかに難しい。従って、米中間で本土を本拠にしたサイバー攻撃をお互いに控えると約束したところで、気休めにしかならないだろう。
そこで気になるのが、台湾と中国との間で昨年6月に調印した「サービス貿易協定」である。この協定は通信、金融、保険、医療などのサービス産業の市場を相互に開放する建前になっている。台湾のネット専門家によれば、デジタル通信サービスの対中開放はいわば「トロイの木馬」で、中国当局との結びつきがある中国の通信機器大手が台湾の通信ネット技術に参入しやすくなる。その結果、台湾は中国のサイバー監視・攻撃部隊に侵入され、占領されかねない。
台湾の通信ネットの中国化はすでに着々と進んでいる。中台間では2013年1月に、大容量の光通信海底ケーブルが初めて敷設、開設された。この通信システムには中国の大手である華為技術(ファーウェイ)が関わっている。米国やオーストラリアでは華為技術は中国人民解放軍が背後にいるとみなされ、国家安全保障上の観点から通信ネットワークから排除されている。
上記の台湾の専門家は無防備の日本の通信ネットが今後は台湾経由で中国に傍受、監視されると警告している。日本政府は華為技術に対して何も規制していないし、民間の通信大手は低価格が売り物のこの会社の製品やシステムを積極的に取り入れている。例えば、日本のグーグルやヤフーなどは日台間の海底通信ケーブルで結ばれている台湾にデータ・センターを置き、日本のネット情報の多くを台湾に集中させている。中台協定が発効すると、台湾の通信システムは華為技術など中国勢に事実上支配され、日本の情報はやすやすと中国当局の監視下に置かれるばかりか、いいように盗聴され、ハッカー攻撃を受けるというわけである。
中国は本土拠点ベースでの対米戦争が休止すれば、今度は台湾に拠点を置いて日本を支配下に置くことに全力を挙げる。そんなシナリオを描いているに違いない。(田村秀男 産経新聞特別記者)