縮む沿岸部、ひとり勝ちの仙台圏 浮かぶ被災地の不均衡

死者・行方不明者、関連死を含め2万2192人が犠牲になった東日本大震災から、11日で10年を迎える。被災地は、持続可能な地域社会をどうつくるのかという課題と向き合いつつある。 【写真】津波で船や家屋が押し流された当時の宮城県気仙沼市の市街地  津波被災地では、人口減少が「再加速」する沿岸部と、人・モノ・カネが集中し続ける仙台圏との不均衡な姿が浮かび上がる。  東北は震災前から人口減少期に入っていた。震災直後、大きな被害を受けた沿岸部は急激な人口減に見舞われる。多数の犠牲者が出たことに加え、住まいや仕事を失った被災者の多くが都市部に移った。  復興事業が本格化するといったん減り方は緩やかになる。公共工事が雇用を生み、再建されたまちに戻ってきた住民もいたためだ。  様相が変わるのは17、18年ごろだ。前年からの人口減少率は再び上がり始め、震災前のペースを上回る自治体が増えている。朝日新聞の調べでは、岩手・宮城の27の沿岸自治体のうち、18年の減少率が10年を上回ったのは23自治体にのぼる。  要因の一つは沿岸部で高齢化が進み、死亡数が出生数を大きく上回るようになったこと。加えて転出者が再び増え始めたことだ。両県で建設需要がピークを過ぎたのは16年ごろ。一方で国の補助金を受けた被災企業のうち、売り上げが震災前の水準以上に回復したのは、20年時点でも4割強だ。復興特需が終わり、産業再生も不十分な沿岸部から、働き手が流出していることがうかがえる。  岩手県大槌町の平野公三町長は「仕事を求めて町外に出たり、避難先のまちにそのまま住んだりする人が多い」と嘆く。震災前は1万6千人余りがいたが、現在は1万2千人を切るまで縮んだ。  この間、膨張を続けたのが仙台市だった。東北唯一の政令指定市・百万都市で、震災前も人口は伸びていたが、この10年で3・9%、4万人近く増やした。このうち3万1800人が転入超過による社会増だ。仙台を除く26自治体の10年間の転出超過合計は4万6800人。沿岸部の流出人口のかなりの部分を吸収したとみられる。  人口増に伴い、経済活動も活発だ。仙台は震災被害からの復旧も早く、被災地全体の復興事業の拠点機能を果たした。また、東北太平洋岸を結ぶ高速道路網が復興財源で一気に拡充され、仙台圏には物流系の企業も集中している。(大西英正、仙台駐在編集委員・石橋英昭)

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