宮城県沖地震は12日、発生から46年となった。7500棟が全半壊し、1981年の建築基準法改正につながった。耐震基準は阪神大震災後の2000年、さらに厳格化。今年1月の能登半島地震では「00年基準」を満たさない木造住宅も大きな被害を受けた。宮城県内の木造住宅は00年以前の建築が66%を占める。度重なる地震でダメージも蓄積しており、専門家は「81年基準に安住してはならない」と警鐘を鳴らす。
(編集部・桐生薫子)
[宮城県沖地震]1978年6月12日午後5時14分、宮城県沖でマグニチュード7・4の地震が発生した。当時の基準で震度5(現在の5強、5弱に相当)を岩手県大船渡、仙台、宮城県石巻、山形県新庄、福島の各市で観測した。死者は宮城27人、福島1人。うち17人はブロック塀や門柱の倒壊に巻き込まれ、5人は家屋の下敷きになった。国が81年に建物やブロック塀の耐震基準を見直す契機となった。
建物倒壊による圧死が相次いだ石川県珠洲市。古い木造住宅は基礎部分から崩れ、原形をとどめているのは新しい住宅ばかりだ。
市内では住家の56・4%に当たる3997棟が全半壊した。同県輪島市の8674棟(58・5%)と合わせ、県全体の全半壊棟数(2万4805棟)の半数以上を占める。
両市は建築年代が古い木造住宅が多い(表1)。18年の総務省調査によると、木造一戸建て住宅のうち、00年以前の建築は珠洲市が89・4%、輪島市は83・0%だった。県全体の71・0%を大きく上回る。
1月に能登半島で住宅被害調査を行った東北大災害科学国際研究所の柴山明寛准教授(地震工学)は、築年数と被害の大きさの関連性を指摘する。建築が1981年以降であっても、基礎と柱の接合部を金物で固定することなどを求めた2000年基準を満たすかどうかで被害に濃淡が出たという。
柴山氏は「重い屋根瓦や積雪による腐食など能登特有の住宅環境が被害を拡大させた」としながらも、宮城も注意が必要だと話す。
岩手・宮城内陸地震(08年)、東日本大震災(11年)、福島県沖地震(21、22年)と最大震度6強以上の揺れが幾度も発生。「建物が傷んでいる。直下型地震や低層の建物に被害を及ぼす周期の揺れに襲われた場合、古い建物ほど倒壊の恐れがある」と強調する。
宮城県内の木造住宅の年代別内訳は表2の通り。00年以前の比率が最も高いのは栗原市の79・6%。新しい建物が比較的多いのは名取市(50・1%)。仙台市は65・3%だった。表以外では加美町(77・4%)、角田市(76・1%)も古い建物が多い。
建築年代は高齢化率とも一定の関連がある。石川県内の高齢化率は珠洲市が51・7%、輪島市が46・3%で、いずれも県平均(30・0%)を上回る。宮城では栗原市が41・9%と県平均(29・1%)より高く、名取市は23・9%と低い。
柴山氏は「親から子へ家を受け継ぐ文化がなくなり、古くなっても耐震補強をしないまま住み続けるケースが少なくない。耐震診断や改修にインセンティブ(動機付け)を持たせる施策が必要だ」と唱える。