菅氏しんみり、昭恵夫人は涙ぬぐって聞き入る…最後に歌詠むと葬儀会場で異例の拍手

 安倍元首相の国葬(国葬儀)で、友人代表として追悼の辞を述べた自民党の菅前首相は、朴訥(ぼくとつ)とした語り口で安倍氏との親交をしんみりと振り返った。

 「いつか首相になる人、ならねばならない人なのだと確信したのであります」

 菅氏は、2000年に安倍氏と親しくなった際の印象をこう語った。

 菅氏が衆院当選2回生だった当時、党の会合で北朝鮮へのコメ支援に反対し、官房副長官だった安倍氏から拉致問題解決への協力を求められたことがきっかけだった。

 12年の党総裁選では、第1次内閣を退陣した負い目から出馬を迷う安倍氏を、菅氏が銀座の焼き鳥屋で3時間にわたって説得した逸話も披露した。安倍氏が出馬を決意したことを「私は菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも誇らしく思うだろう」と強調した。

 銃撃事件の起こった当日、「同じ空気を共にしたい」との一心から、現地の奈良県に向かったことにも触れ、会場の昭恵夫人は時折、涙をぬぐいながら聞き入った。

 弔辞の最後には、安倍氏の議員会館の机に読みかけの本が置かれ、明治の元勲・山県有朋が盟友・伊藤博文を銃撃で失った後に詠んだ歌に線が引かれていたことを明かした。

 「この歌ぐらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません」と語り、「かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」との歌で締めくくると、葬儀会場としては異例の拍手に包まれた。

タイトルとURLをコピーしました