宮城、山形両県にまたがる蔵王連峰の冬の風物詩、アイスモンスターを「樹氷」と命名したのは東北大の前身、東北帝国大の学生らだったことが18日、山形大の研究で分かった。当時、アイスモンスターは「雪の坊」などと言われていたが、学生が樹氷と呼び、そのまま定着したとみられる。
山形大によると、樹氷に関する文献や資料を調べた結果、1922(大正11)~23(同12)年ごろ、蔵王連峰の宮城県側のスキー場で合宿中だった旧制二高、東北帝大の学生が「樹氷」と呼んでいたことが判明した。
樹氷という言葉は1878(明治11)年に気象用語で使われ始めた。当時は水滴と雪が枝葉にぶつかって凍結し、風上に向かって「エビのしっぽ」の形に樹木が凍結した姿を指した。
これに対し、さらに樹木全体が雪で覆われたアイスモンスターは「雪の坊」などと呼ばれたが、学生は巨大な樹氷だと勘違いしたとみられる。
樹氷と命名された経緯は、これまで旧制山形高等学校の教授が「昭和4年に自分が命名した」と主張したため、通説となりつつあった。今回の山形大の研究で、通説は否定される形となった。
学生が命名した蔵王の樹氷は1936(昭和11)年、ウルトラマンで知られる映画監督の故円谷英二氏(須賀川市出身)が、山形市の蔵王温泉スキー場で映画撮影を行い、全国的に有名となったことも分かった。
海外に初紹介されたのは31(昭和6)年。仙台鉄道局が樹氷の写真を掲載した「陸奥曲(みちのくぶり)」を出版したことがきっかけだった。
蔵王連峰のアイスモンスターは、100年前の14(大正3)年2月15日に発見された。「エビのしっぽ」の樹氷は世界各地に存在するが、樹木が雪で覆われ巨大となるアイスモンスターは蔵王山や八甲田山など国内の一部でしか見られない。
研究を主導した山形大の柳沢文孝教授(地球化学)は「従来言われる蔵王の樹氷の歴史とは異なる事実が判明した。今後100年、新たな歴史認識で、樹氷を見守ってもらいたい」と語った。