表示数稼ぎの過激投稿、ネットから消えぬ根本原因

私たちの「関心」が経済的価値を持つジレンマ

山本 龍彦 : 慶應義塾大学大学院法務研究科教授

インターネットの普及によって社会が情報過多になる中、人々の関心や注目の度合いが経済的価値を持つ「アテンション・エコノミー(関心経済)」をめぐる議論が活発化しています。

アルゴリズムがネット利用者個人の検索履歴やクリック履歴を分析し学習することで、個々のユーザーにとっては望むと望まざるとにかかわらず見たい情報が優先的に表示される「フィルターバブル」、SNSを利用する際、自分と似た興味関心を持つユーザーをフォローする結果、意見をSNSで発信すると自分と似た意見が返ってくる「エコーチェンバー」現象などが問題視されることも少なくありません。

デジタル社会の法秩序論(憲法学)を専門とする山本龍彦氏は、こうした情報空間が私たちに与える影響の大きさに警鐘を鳴らします。

※本稿は山本龍彦著『アテンション・エコノミーのジレンマ 〈関心〉を奪い合う世界に未来はあるか』から一部抜粋・再構成したものです。

現代の怪物と化した「アテンション・エコノミー」

「アテンション・エコノミー」なるビジネスモデルの出現は、経営学者・認知心理学者でノーベル経済学賞を受けたハーバート・サイモンが1960年代後半に予言していたし、人間の有限なアテンションが貨幣の代替物になるとの見通しも、すでに1997年に、この言葉の生みの親とされる社会学者のマイケル・ゴールドハーバーによって語られていた。

しかし、GAFAMのようなプラットフォーム企業の台頭や、人間の認知システムをも“ハック”しうるAIの加速度的発展がもたらしたアテンション・エコノミーの現代の怪物化は、彼らの予想を大きく上回るものであろう。

もちろん、このビジネスモデルが基本的人権の保障や民主主義に資するものであるならば、その怪物化はむしろ歓迎すべきものである。しかし、現実はどうもその逆のようである。

例えば、国連がアテンション・エコノミーの拡大に警鐘を鳴らす文章を公表(注:United Nations, New Economics for Sustainable Development: Attention Economy)した背景にも、アテンション・エコノミーの拡大が人権や民主主義にとっての福音でなく凶報であり、SDGsに対しても否定的影響を与えうるビジネスモデルだとの認識がある。現代社会を大きく動揺させている偽情報の拡散や増幅。これも、アテンション・エコノミーと無関係ではない。

このビジネスモデルの下では、ユーザーのクリック=反射を得られるかどうかが極めて重要になるため、内容のクオリティや信頼性は二の次になる。そこでは、当然ながら、丹念な取材をもとに書かれた退屈な真実よりも、クリックを得られる刺激的で魅惑的な偽情報のほうが経済的利益を生むのである。

2024年1月の能登半島地震では、インプレッション(表示数)を稼ぎ広告収入を得るために海外から発信された――インプレ・ゾンビらによる――X上の偽情報が救出活動を妨げたなどと問題視されたが、これなどはまさしくアテンション・エコノミーがつくり出した悲劇的現象にほかならない。

ただ、個別の偽情報を叩いても「モグラたたき」のようにまた新しい偽情報が次々と現れる。偽情報を本当に減らしたいのならば、モグラが生まれる土壌、アテンション・エコノミーなる“構造”を変えていかなければならないのである。

アテンションを奪う方法

フィルターバブルやエコーチェンバーといった問題も、アテンション・エコノミーと構造的につながっている。

アテンションを奪うには、そのユーザーの属性をプロファイリングし、この結果(セグメンテーション)に基づきレコメンドすることが有用であることは想像に難くない。こうした実践の結果、ユーザーは、AIが「興味なし」と判定した情報やコンテンツがフィルタリングされた泡(フィルターバブル)のなかに包囲され、泡の外部に存在する公共や他者との接点を失うなどと指摘されている。

また、ユーザーのアテンションを奪い続けるには、ユーザーの政治的見解と似た考えをもつ者の投稿などを積極的にレコメンドすることが有用である。結果、特定の政治的見解が“泡”のごとき閉鎖的空間のなかで反響(エコー)し、それ以外の見解を排斥してどんどん先鋭化・過激化していくなどと指摘されている。

人間は、認知バイアスとして、繰り返し同じ情報に接触することでその情報を正しいと感じるようになるという「真実錯覚効果(illusory truth effect)」をもつというが、エコーチェンバーという「反響室」ではこのバイアスが非常によく効く。

実際、Qアノンのような陰謀論者の多くは、SNSで陰謀論に何度も接触したこと――まさに陰謀論がエコーのように閉鎖的情報空間の中で反響したこと――で、これを絶対的真理と信ずるに至ったと指摘されている。

こうみると、アテンション・エコノミーがつくり出したエコーチェンバーは、政治的・社会的分断を加速させているだけでなく、偽情報の増幅にも加担しているということになろう。「虚偽しか聞かない者にとって、真実は存在しない」(G.Michael Parsons)との言葉は、この状況を端的に表している。

誹謗中傷も、アテンション・エコノミーがつくり出している部分がある。憎悪や怒りといった表現が、人間のアテンションを得やすく、拡散・共有されやすいことはよく知られている。先述の国連文書も、「怒り(outrage)はより多くのエンゲージメントを生み出す」と述べる。

暴力的な過激投稿は「花形コンテンツ」

フェイスブックの元社員フランシス・ホーゲンが持ち出した同社の内部文書「フェイスブック文書」によれば、同社はこうした事実を理解しながらも、ユーザーのエンゲージメント獲得のため、すなわちユーザーをFacebook上に長くとどまらせるため、こうした憎悪的な表現を優先的に表示するアルゴリズムを採用し続けたという。

ホーゲンはイギリス議会の公聴会でも、議員らを前に、同社のアルゴリズムが「憎悪を増幅させていることは疑いがない」と証言した。

フェイスブック誤情報チームのプロダクトマネジャーだった彼女の発言が偽証でないならば、憎悪に満ちた誹謗中傷的投稿は、プラットフォームのアルゴリズム・AIに愛でられ、促進されている側面がある。

別言すれば、クリック=反射を奪い合う「刺激の競争」において、深いエンゲージメント(粘着性)を作出する暴力的な過激投稿は、経済的利益を生み出すために不可欠な花形コンテンツであるといえよう。

そして、アテンション・エコノミーの下でこうした刺激物を延々と見させられる私たちの精神構造の変化にも、触れないわけにはいかない。

例えば、EUの欧州委員会は、2024年2月、デジタルサービス法(Digital Services Act,DSA)に基づき、TikTokを運営するバイトダンスが自らの動画に対するユーザーの依存症リスクを把握し、対応しているかについて調査を行うと宣言したが、そこで重視されたのは、精神的な健康や、子どもの基本的人権であった。

ジャーナリストのメーガン・レイも、刺激物を浴び続けることによる慢性的ストレスがユーザーの健康に与える影響を指摘している。

確かに、インプレッション稼ぎの過激投稿や誹謗中傷、ゴシップなど、人間の浅ましい姿を四六時中見せられて、人間の精神構造が変化しないわけはないだろう。民主主義の維持には、人間存在そのものへの信頼が必要だが、アテンション・エコノミーの加速化で、人間がどんどん人間を嫌いになっているようにも思われる。

また、マイクロソフトの研究では、デジタル化の影響で、人間の注意持続時間が、集中力のないことで知られる金魚の平均的な注意持続時間(9秒)を下回ったと報告されている(注:Kevin Mcspadden, You Now Have a Shorter Attention Span Than a Goldfish, TIME, May 14, 2015)。

この調査によれば、モバイル革命の始まった2000年以降、人間の平均的注意持続時間が、12秒から8秒に低下しているという。さらに、国連文書は、「私たち」の「集合的な注意力(collective attention)」も「加速度的に短く」なっており、それが社会的・政治的問題に関するより貧しい理解につながる可能性があると指摘している。

「クリックを得る=いいこと」という風潮

これまでざっと見てきたように、現在の情報空間で起きているあらゆる病理現象が、アテンション・エコノミーという、プラットフォームのビジネスモデルと関連していることがわかる。

国連文書やEUのDSA、偽情報など情報空間の現代的課題を扱う総務省の検討会(「デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会」〔座長・宍戸常寿東京大学教授〕)でも、このような認識はすでに共有されている。

それにもかかわらず、アテンション・エコノミーの怪物化はさらに進行しているように見える。「バズらせる」という言葉は無邪気に多用され、「クリックを得ること=いいこと」という風潮は、すでに社会文化の一部を形成しつつあるようにも思える。

アテンション・エコノミーという怪物は、人間の認知システムを刺激してドーパミンの分泌を促し、短期的には「快楽」を与えることで、私たちの心を飼い馴らし、抵抗を回避して遍在化する性格を有している。

ショート動画に没入したり、エコーチェンバーの中で気の合う者と連帯して他者を罵倒、攻撃したりする者にとって、怪物の作り出す世界は、酩酊の神・デュオニソスが統治する陶酔の空間であり、民主主義的世界よりもはるかに快適である。

彼らにとって、真実を伝え、民主主義の重要性を説くような報道は、陶酔や酩酊を妨げる道徳的ノイズでしかない。怪物の外にある“素面”の世界は、彼らのなかでは忘れ去りたい茨の世界なのである。

民主主義社会は強大な怪物に飲み込まれつつある

この、AIを手に人間の動物的・自然的側面を司る怪物との闘いは、神との闘いにも似た難しさを有している。私たち人間にとって、あるいは民主主義にとって、アテンション・エコノミーは、超強力なラスボス的な怪物であることは間違いないだろう。

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私たちは、「アテンション・エコノミー」という言葉を得たことで、ようやくこの怪物の尻尾を掴むことに成功したが、そのことで皮肉にも浮かび上がってきたのは、その強大さである。私たちは、あるいは民主主義社会は、いまやこの強大な怪物に飲み込まれつつある。

私たちの大切な時間やアテンションを暴食しつつ成長するこの異形を前に、ただ立ち尽くすのか、楽な闘いでないことを知りながらも対決するのか。

周知のとおり、日本国憲法は、私たちの基本的人権を保障し、民主主義を統治の基本原理としている。特に、表現の自由を保障する憲法21条は、受け手(ユーザー)が自律的・主体的にさまざまな情報を摂取できるという「知る権利」をも保障していると考えられている。民主主義の実現とともに、こうした「知る権利」の実効的保障のためにも、アテンション・エコノミーの弊害を抑えた健全な情報空間の実現が必要だろう。

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山本 龍彦 慶應義塾大学大学院法務研究科教授

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