私たちがほぼ毎日使う、ある日用品に対する価値観をこの数年で大きく変えた日本の地方都市がある。半島といくつかの島々からなる瀬戸内海沿岸の人口約16万人の町、愛媛県今治市だ。
この地で作られる「今治タオル」の赤と青と白のブランドロゴを目にしたことのある人も多いだろう。肌触りの良さ、高い吸水性、織り方や色柄のバリエーションの豊富さなどを特徴とする今治タオルは、高品質、高機能なタオルとして国内外で注目を集めている。これまでタオルの産地や品質などを深く考えたことのある消費者はそれほど多くなかっただろうが、今治タオルブランドの普及によってタオルそのものへの見方が変わりつつある。
実際、今治タオルは販売好調を追い風に生産量が急拡大。現在の年間生産量はおよそ1万4000トンで、底を打った2009年と比べて約49%も増えているのだ。「このままでは現在の製造機器の生産能力を超えてしまう」(今治タオル工業組合・近藤聖司理事長)といった嬉しい悲鳴が出るほどに今治タオルは売れ続けている。
2013年度には売上高6億円を突破し、個人顧客にとどまらず、客室用アイテムとして導入する「ザ・リッツカールトン京都」をはじめ、ホテルや旅館などの法人顧客も多数抱えるようになったのである。
今や地方ブランディングの成功事例として脚光を浴びる今治タオルだが、ここまでの道は決して順風満帆ではなかった。かつては産業消滅の危機に直面し、国に対してセーフガード(特定品目の輸入急増による損害を回避するための関税の賦課または輸入数量制限を行うもの)の発動要請をするほどまでに至ったのである。
●1991年をピークに激減
今治タオルの歴史は古く、1894年に実業家の阿部平助氏が改造織り機4台を用いてタオルの製造を始めたのが最初とされる。元々、今治は江戸時代から綿織物業が盛んだったことや、瀬戸内海の交通の要所としてヒト・モノ・カネが行き来するような場所だったことから、すぐにタオルは造船とともに今治の主要産業に成長した。
泉州(大阪)、三重とともに日本有数のタオル産地として長らく発展を続けてきたが、1990年代初頭のバブル景気崩壊をきっかけに国内のタオル産業は一気に冷え込む。理由は中国を筆頭とする外国産の安い製品が日本に大量に輸入されるようになったからだ。これによってタオルだけでなく日本の繊維産業は壊滅的なダメージを受ける。今治タオルの生産量も1991年の5万456トンをピークに激減の一途をたどり、2001年には半分以下の2万3398トンにまで大きく落ち込んだ。
危機感を募らせた国内タオル業界は2001年、経済産業省に対して中国産のタオル製品に対する繊維セーフガード発動を要請したが、期待もむなしく2004年に政府の調査は打ち切られ、認可は下りなかった。
また、今治タオル工業組合(当時は四国タオル工業組合)では2003年に今治市の補助金2億円などを投じて、東京・銀座に今治タオル専門店をオープンした。しかしながら、補助金の終了とともにわずか3年で閉店となった。「国や自治体はSPA(製造小売業)を推奨したわけですが、ノウハウなどはなく、当然うまくいきませんでした。ブランディングというような考えも当時はありませんでした」と近藤氏は振り返る。
●佐藤可士和氏に直談判
今治タオルの再興に向けて「もはや打つ手なし」と思われたが、地元関係者たちは諦めなかった。100年以上も今治の地で受け継がれてきたこの産業をなくすわけにはいかないからである。しかしその思いとは裏腹に、今治タオルの生産量は右肩下がりを続け、企業数や従業員数の減少にも歯止めが効かない状態となっていた。そんな折、中小企業庁が手掛ける「JAPANブランド育成支援事業」に今治タオルが採択されたのである。2006年のことだった。
JAPANブランド育成支援事業とは、地域の特産品や技術の魅力をさらに高めて、世界に通用するブランド力の確立を目指す取り組みを支援するものである。「今治ブランドの確立」を合言葉に、工業組合に加えて今治商工会議所、今治市が一丸となり、「今治タオルプロジェクト」がスタートした。
ただし、肝心な問題が1つあった。地元にはブランディングに長けた人材がいなかったのだ。そこで外部から招へいすべく白羽の矢が立ったのが、クリエイティブディレクターの佐藤可士和氏である。
すぐさま関係者は佐藤氏の元へ押し掛けるように訪問、本人に今治タオルのブランディングをお願いしたいと直談判した。一通り話を聞いた佐藤氏だったが、そのときは引き受けるつもりはあまりなく、ましてや今治タオルの存在もよく知らなかったという。
ところが、である。お土産にともらった今治タオルを使った瞬間、佐藤氏は衝撃を受けた。肌触りといい、吸水力といい、今まで使っていたタオルは何だったのかというほど、使い心地がまるで違ったのだという。こんな優れたコンテンツがあるなら、きっとうまくブランディングできるはず――佐藤氏はプロジェクトにかかわることを決めたのだ。
●今治タオルというブランド作り
佐藤氏も加わった今治タオルプロジェクトがまず取り組んだのが、ブランドマークとロゴの構築、独自の今治タオル認定基準の策定、そしてタオルソムリエ資格認定制度の導入検討だ。
ブランドマークのモチーフにしたのは今治の恵まれた自然で、白は「空に浮かぶ雲」と「タオルのやさしさ・清潔感」、青は「波光煌めく海」と「豊かな水」、赤は「昇りゆく太陽」と「産地の活力」を表現した。また、マークの形が今治(Imabari)の頭文字である「i」となっている。
独自の認定基準は今治タオルのブランド価値と品質を守るべく設けられた。具体的には、タオルの吸水力や色あせにくさ、変形しにくさなどさまざまな試験項目を設け、それをクリアした製品だけが今治タオルの認定を受けられるようにした。代表的な試験項目の1つが「5秒ルール」である。これは吸水性を保証するためにタオル片を水に浮かべて5秒以内に沈むかをテストするものだ。
今治タオルと認定された製品にはどのメーカーであっても等しくブランドマークのタグやネームを付けることで、消費者が一目ですぐに今治タオルだと認知できるようにした。
タオルソムリエとは、世界初のタオルに関する資格認定制度で、主に百貨店、ショップなど小売業の営業や広報担当者をタオルアドバイザーとして育成するのを目的としている。この制度は2007年に実施が始まり、現在までに約2600人がタオルソムリエの認定を受けている。
こうしてスタートした今治タオルプロジェクトだったが、最初は基盤作りであったためにいきなり売り上げが伸びるわけではなく、工業組合の中にはこのプロジェクトに半信半疑だったメンバーも少なからずいたという。当時は代表理事ではなかった近藤氏も実はその一人だった。
「正直難しいだろうと思っていたのが本音。反対者はいなかったけれども、様子見している人は多かったです。これまで先輩たちもブランド作りなどいろいろとやってきたけど、うまくいかなかったわけですから」(近藤氏)
また、工業組合に所属する各メーカーもこれまではライバル同士で、必ずしも良い関係性という会社ばかりではない。それを全員で仲良く今治タオルブランドの同じネームを使いましょうということにも抵抗があったのは事実だ。
●潮目が変わった瞬間
その潮目が変わったのが、プロジェクト3〜4年目ごろだという。2007年に東京・伊勢丹新宿店での今治タオルの常設販売を開始するなど、プロモーション活動に注力。徐々に今治タオルのブランド認知度が広まり、例えば、近藤氏が県外に営業に行くと今治タオルという言葉が相手の方から自然と出てくるようになった。「確かに風向きが変わってきた。これはいけるのではないか」。近藤氏などそれまで積極的ではなかったメンバーも意識が変わり始めていた。
そして2010年、十数年にわたって減少し続けていた生産量がプラスに転じる。対前年比でわずか0.2%増だが、着実な成長を手応えとして感じた。「これはわれわれにとって大事件でした。まさか回復するとは思っていなかったので。夢物語ですよ」と近藤氏は力を込める。
補助金に頼るのではなく、自分たちの力で継続的に収益を生み出せるようになった。この成果によって、本当の意味で工業組合のメンバーたちは今治タオルブランドのために皆で1つの方向に向かい始めたのである。ただし、その目的は人それぞれだ。ブランドマークを製品に付けて価値を上げ、売り上げを伸ばすことに意義を感じる人もいれば、近藤氏のように今治というタオルの産地が永続的に残ることを目指して、ブランディング活動に参加する人もいる。
けれども、重要なのは1社だけが成功しても意味がないということだ。なぜなら今治タオルは、タオルを織る会社、加工する会社、商品を企画する会社など、多くの会社の分業によって成り立っているからだ。「1社が頑張ったところで収益などしれている。産業全体で取り組み、ブランドを向上させなくてはならないのです」と近藤氏は述べる。
その後、今治タオルは躍進する。販路も拡大し、2012年には東京にアンテナショップ「今治タオル 南青山店」をオープン、そして2017年4月には今治市内にある「今治タオル本店」をリニューアルし、バスタオルやハンカチタオル、バスローブをはじめ約400種類、2万点以上の商品を取りそろえる。また、今治タオルの製造方法や機能性などを体感できる「今治タオルLAB」を本店の隣に新設した。県内外、さらには海外から多くの顧客がここにやって来ることを地元関係者は期待を寄せる。
今後は今治タオルというブランドの傘を飛び出して、地元のメーカー1社1社が切磋琢磨しながらそれぞれの強みを打ち出していければとする。そうすればもっと今治タオルの産業自体が大きくなり、持続可能なものになるという考えからだ。
11年前、今治タオルプロジェクトがスタートしたころ、今治という地名を聞いても具体的なイメージを想起する人は少なかったという。ところが現在は、今治タオルだけでなく、自転車サイクリストの聖地になった広島・尾道と今治をつなぐ「しまなみ海道」、ゆるキャラの「いまばり バリィさん」、さらには元サッカー日本代表監督の岡田武史氏がオーナーを務めるFC今治など、人々の注目を集める物事があふれている。
近年は観光客数も伸びていて、2015年度には284万1271人と過去5年間で40万人以上増えた。今治タオル本店にも日本人観光客はもとより、中国や台湾、ベトナムなどの外国人観光客がやって来るそうだ。
また、町が活気付くことで、例えば高校卒業後に地元を離れた若者が、就職、転職などを機に再び今治に戻って来るケースも見られるようになった。地元の人たち多くもおらが町が全国に知られるようになったことを素直に喜ぶ。
タイミングは偶然だったのかもしれないが、今治タオルがこのきっかけになったことは間違いない。そして、それに引き寄せられたさまざまな点が結び付いて線になり相乗効果が生まれ、ついには面となって今治全体のブランド力を高めるほどになった。
これからの日本の地域経済を考える上での重要なモデルケースとして動向を見守りたい。
(伏見学)