被災地支援で戦ってきた福島・ご当地ヒーローたちが明かした苦悩

東日本大震災から4年。福島県には、子供に勇気を与え、まちを元気にするヒーローたちがいる!

今回、地域密着で活動する「福島ヒーロー」が集結。白河市のヒーロー・ダルライザーいわき市のヒーロー・ジャンガラー相双(そうそう)地区のヒーロー・ディネードの3名に震災当時を振り返ってもらった。

■ヒーローの出番はいつなのか?

―震災直後は、どのような活動を?

ダルライザー(以下、ダル) 市から「避難所を回って、子供たちを励ましてほしい」という要請があり、すぐに活動を再開しました。

ジャンガラー(以下、ジャン) 震災の翌日に?(ジャンガラーはしゃべらないヒーロー。今回はテレパシーを使って会話をしている)

ダル いや、1週間後に。本当はもっと早く駆けつけたかったんですが、仲間の中には「今は、ヒーローの出番じゃない」という意見もあって控えていた。市からの要請がなければ、もっと遅れていたかもしれません。

ディネード(以下、ディネ) 白河市内の避難所を回ったんですか?

ダル はい。実はそれまでダルライザーは“しゃべらないヒーロー”でした。でも、市から声で励ましてくれと頼まれた。子供たちに「大丈夫だよ、頑張ろう」と語りかけました。そうすることで、厳しい現実を少しでも忘れてほしかった。

ジャン うん、うん。

ダル 当時は昼に“生身”でボランティア活動に汗を流し、夕方からダルライザーに“着替えて”避難所を回る生活でした。そういえば、ジャンガラーは震災が起きる5ヵ月前に誕生したんですよね?

ジャン はい。これからだ、と思っていた矢先に震災が起きたから戸惑いましたよ。活動もしばらく見合わせました。

だから、ダルライザーさんがヒーロー活動をすぐに再開したことを知って、いてもたってもいられなくなりました。いわき市の青年会議 所(JCI)にかけ合って避難所訪問に協力させてくれとお願いしたのですが、JCIは支援物資の分配などでその余裕がなかった。ヒーローとして何か活動で きないのか、すごくモヤモヤしていましたね。

でもその後に、いわき市内の幼稚園の園長先生からショーをしてくれという依頼があった。「ぜひ、うちの幼稚園に来てください。砂遊びや屋外プールで水浴びができない園児たちに元気を与えてほしい」って。

ディネ あの頃は、幼稚園も学校も自分たちで砂場などの放射能の濃度を調べて警戒していましたね。

ジャン あの時「私の使命はこういうことなんだな」と思いました。それからは他の幼稚園や子供たちが集まる所に頻繁(ひんぱん)に呼ばれるようになったんです。

ディネ 幼稚園では、どんな戦いを見せていたんです?

ジャン 先生にコスチュームを着させて悪役を演じてもらいました。先生方も震災のストレスがたまっていたのか、全力で悪役になりきって子供たちを怖がらせていましたね(笑)。そして、私がバッタバッタと倒していく。

ダル それは、子供たちも大喜びだ。

ジャン 大喜びどころか感動してくれた子供たちがたくさんいました。怖い人たちが襲ってきても、いわきにはジャンガラーがいるって。自分たちのことを守ってくれるって。子供たちがジャンガラーの絵を描いてプレゼントしてくれたときは、私のほうが思わず感動しましたよ。

ディネ 僕は先輩たちとは違い、震災後に誕生しました(2012年2月)。最初は地元の人たちからの要望を受け、子供たちの内部被曝を予防するためにうがいや手洗いの必要性を広める活動をしていました。また、プロモーション映像(*)をネットに配信したりもしましたね。

*https://www.youtube.com/watch?v=ooExRI4NSco

ダル かなり本格的な映像だったので驚きました。ついに福島にも“テレビヒーロー”が現れたのか!って。

ディネ ただですね…当初はかなり叩かれたんですよ。

ジャン というと?

ディネ 相双地区は、福島第一原発の所在地ということもあって、こういう活動に懐疑的な目を向 ける人もいるんです。某掲示板で炎上したし、仲間の携帯電話の番号が流出してしまい、たくさんのイタズラ電話がきました。「おまえらは偽善者だ」とか「東 電の回し者だろ」とか言われましたよ。

ジャン それはキツイ。

ディネ でも、先輩たちが震災前から活動してくれていたおかげで、自然とそういった声は収まりました。めげずにヒーローとして活動できるのも先輩たちのおかげです。感謝しています。

●ダルライザー

2009年、白河の名産「白河だるま」をモチーフに誕生した福島ヒーローの先駆者。白河商工会議所青年部が制作。名前には「ダルマ(ダル)のように、転んでも起き上がれ(ライズ)」というメッセージが込められている

●ジャンガラー

2010年に誕生した。模型製作、イベント企画などを取り扱う会社「川島工房」と、いわき青年会議所が共同で制作。コスチュームは「シーラカンス」と、いわきの伝統芸能「じゃんがら念仏踊り」をモチーフにデザインされた

●ディネード

2012年誕生。名前は「負けるんじゃないぞ!」を意味する相双地区の方言「負けるんでぃねーど」が由来。コスチュームのデザインは子供たちから募集、約500案の応募の中から選考に残ったふたつを組み合わせた

(取材・文/佐々木 徹 撮影/髙橋定敬)

■週刊プレイボーイ12号「観光PRをして、子供たちとも触れ合い、風評被害にも立ち向かう! 福島ヒーロー座談会」より

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