記憶に刻んで…「森繁通り」愛称から正式通称に

平成21年11月10日に亡くなった俳優の森繁久彌さん(享年96)が半世紀以上住んだころから通称「森繁通り」として呼ばれてきた小田急線千歳船橋駅近くの区道について、東京都世田谷区は森繁通りを正式な道路通称名とした。森繁さんの1周忌を記念して今月13日、区道の命名式が駅前広場で行われた。森繁さんの次男、建(たつる)さん(67)は「街に父の名が刻まれ、忘れないでくれて本当にうれしい」と喜んでいる。
 「森繁通り」は、千歳船橋駅北口の船橋1丁目10番から船橋3丁目5番の長さ約660メートルの区道。
 森繁さんの自宅は、この通りの終点にある。現在はマンションになっているが、森繁さんは昭和28年から亡くなるまで半世紀以上もこの自宅に住んだ。通り沿いを散歩し、すし店やそば屋などをよく利用していたといい、地域では40年以上も前から「森繁通り」の愛称で呼ばれていたという。
 正式な道路名になったきっかけは、熊本哲之区長が「森繁さんの名前を地域に残し、地域の活性化にも寄与してもらえないか」との発案だった。
 今春から区と建さんが話し合い、8月4日、道路通称名として定めたという。
 11月13日に千歳船橋駅北口広場で行われた命名式には、森繁通りの商店関係者や地域住民、ファンら約320人が参加。通り沿いにある都立千歳丘高校のブラスバンド部が「知床旅情」の演奏を始めると歌詞を口ずさむ人や、森繁さんの思い出を懐かしそうに話し合う人の姿が見られた。
 建さんは「父が文化勲章や国民栄誉賞をいただいた時もうれしかったが、今回は、まったく異質のうれしさ。無名の時代から父を支えてくれた千歳船橋の街に父の名前が刻まれ、地域の皆さんが父の名前をいつまでも忘れないでいてくれるのは本当にありがたい」と話していた。

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