賃上げラッシュ「ニッポンの給料」に起こる大異変 26年ぶり高水準、春闘に異例の熱視線が集まる

ファーストリテイリング、三菱UFJ銀行、トヨタ自動車、任天堂……。春闘が本格化する中、日本企業で続々と賃上げを行う機運が生まれている。

会社が独自に表明したものもあれば、労使交渉を経て、すでに会社が満額回答した例もある。賃上げの幅はさまざまだが、いずれもここ数年では見られなかった異例の高水準だ。

主な理由は物価の上昇にある。ウクライナ戦争に端を発した世界的なエネルギーや食料価格の高騰、さらに内外の金利差拡大に伴う円安が、「輸入インフレ」として日本の消費者を襲っている。

総務省が発表した2022年12月の消費者物価指数は、変動の大きい生鮮食品を除く総合指数が前年同月比で4%増と、41年ぶりの上昇率となった。23年1月も同4.3%の上昇率となっている。

物価が上がっているのに給料が上がらなければ、社員の実質賃金はマイナスになり、就業意欲をそぐことになる。そうした事情が企業経営者たちを賃上げに駆り立てているという側面がある。

26年ぶりの高水準

労務行政研究所が1月30日に発表した「賃上げ等に関するアンケート」の調査結果では、23年の賃上げ見通しが定期昇給分を含め平均2.75%となり、前年を0.75ポイント上回った。厚生労働省が集計する主要企業の賃上げ実績は同調査の見通しを若干上回る傾向があることを踏まえ、ニッセイ基礎研究所は23年春闘の賃上げ率を2.9%(22年実績は2.2%)と想定している。実現すれば、23年の春闘賃上げ率は1997年以来26年ぶりの高水準となる。

ただ足元のインフレ率を考慮すると、これでも十分ではない。

ニッセイ基礎研究所の斎藤太郎・経済研究部経済調査部長は、「23年春闘は定昇を除くベースアップ(基本給引き上げ)が最終的に1%強にとどまる。賃上げ率は2年連続で消費者物価の伸びを下回る公算が大きい」と指摘する。

電力会社各社が4月以降、料金を値上げすることも消費者物価の押し上げ要因となる。定昇込みで5〜10%レベルの賃上げを表明している一部の大企業を除き、「名目賃金は伸びても、実質賃金は減少しそうだ」(斎藤氏)。

ユニクロの店舗外観ファーストリテイリングは年収を最大4割引き上げる(撮影:今 祥雄)

24年も流れは続くのか

この先賃上げは、インフレが鎮静化した後も持続するのか。答えはイエス、といえるようなデータがいくつか存在している。

アベノミクス期にあたる12〜19年の間に雇用者数(役員除く)は約500万人増加した。増加した雇用者の7割を非正規が占めるものの、労働力率の高い生産年齢人口(15〜64歳)が少子高齢化で減り続ける日本経済において、これは福音だった。

しかしこの間、労働力人口の大幅な増加が続いたのは、高齢者と女性の労働力率が上がった影響が大きかった。65〜69歳の就業率は21年に初めて50%を超え、低調だった女性の労働参加も欧米先進国を抜いた。出産・子育て期に労働力率が落ち込む「M字カーブ」はほぼ消滅した。

BNPパリバ証券の河野龍太郎・チーフエコノミストは、「年金の支給開始年齢が引き上げられ働かざるをえない人が増えたことなど、いくつかの要因が重なった結果だが、日本の労働供給はいよいよ掘り尽くされ、限界に近づいてきている」と分析する。

労働需給が逼迫すれば、一般的に採用は売り手市場となり、賃金は上昇する。ただ政府が産業界に対し賃上げを求める「官製春闘」を始めても笛吹けど踊らず、実質賃金は13〜18年度平均で前年比0.4%のマイナスだった。

この要因は、賃金水準の低い非正規労働者の比率が上がったことが、平均賃金を押し下げたからなどといったさまざまな分析がある。アベノミクスでの追加的な労働供給の押し上げ余地は限定的であり、これからは本当の人手不足がやってくる可能性が高い。

24年の賃上げについては、ニッセイ基礎研究所が3%、大和総研が2.9%など大手シンクタンクは今のところ23年並みの水準を予測する。企業業績や輸入インフレの動向次第だが、2年連続で直近の比較では高水準の賃上げが行われるとの見立てだ。

金融市場も今年の春闘には高い関心を寄せている。物価と賃金がダブルで上昇する好循環が実現するかどうかは、「2%物価目標」の達成を掲げる日本銀行の出口戦略を占ううえでも、大きな注目ポイントとなるからだ。

国債の金利や株価、為替の動向は、10年に及んだ日銀の異次元金融緩和策が、いつ、いかなる形で出口に向かうかにかかっている。それゆえ、市場関係者は日銀の政策を必死に見定めている。

では、2%目標に見合う賃金上昇はどの程度なのか。その際に必要な賃金上昇率を日銀は3%程度とみている。黒田東彦総裁は昨年5月の講演で、「生産性と物価の上昇率と整合的で、持続可能な名目賃金の上昇率は3%程度ということになる」と述べている。

2%弱の定昇を含めれば、日銀が目指すマクロの賃金上昇3%の達成には毎年5%近くの賃上げが必要になる。ただ下図のとおり、ここ数年の春闘賃上げ率は2%前後。2.75%と予測されている今年の水準から見ても、実現のハードルはかなり高いことがわかる。

「ノルム」の変化がカギ

みずほリサーチ&テクノロジーズの門間一夫・エグゼクティブエコノミストは、「日銀のいう『物価と賃金の好循環』は生産性とは関係なく、物価に関する『ノルム(常識ないし規範)』の変化を指す。分岐点となる24年春闘の結果から、人々の中長期の期待インフレ率、つまりノルムの変化が確認できるかどうかが日銀の出口戦略においてカギを握る」と語る。

折しも日銀の総裁は、今年4月から学者出身の植田和男氏が起用される見通し。「植田新総裁はノルムの変化が起きているかをじっくり見極め、出口戦略の時期を探る」(門間氏)とみられている。

舵取りは容易ではない。金融緩和の縮小によって企業が採用意欲を失い、労働需要が冷え込んでしまえば元も子もない。たとえ人手不足であっても賃金の上昇は期待できなくなる。23〜24年の春闘は賃金の上昇を好機に変え、生産性向上や消費の拡大につなげていけるのか。「ニッポンの給料」は大きな転換期を迎えている。

著者:二階堂 遼馬

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