赤い実の香り、歩み実感 イチゴの需要ピーク 宮城・亘理

冬の日差しが西に傾いた午後3時。トラックやワゴン車がひっきりなしに訪れる。荷台には、もぎたてのイチゴを詰めた箱がぎっしり。生産農家が手早く荷台から降ろす。甘酸っぱい香りが辺りに広がった。
 宮城県亘理町の「亘理山元いちご選果場」。クリスマスケーキに使われるイチゴの需要期がピークを迎え、連日忙しい。
 イチゴを載せた5系統のベルトコンベヤーが流れる。その周囲を女性検査員7人が足しげく歩き回る。粒の大きさや色の濃さ、実が欠けていないかどうか。女性たちはイチゴを手に取り、確認に目を凝らす。
 「みんな経験が豊富なので、安心して任せられる」。選果場の現場責任者、みやぎ亘理農協中部営農センターの岩佐俊宏さん(48)が語る。
 東日本大震災の津波で、亘理、山元両町のイチゴ農家計380戸の95パーセントが被災した。「仙台いちご」のブランド名で、2010年に約3600トンの生産量を誇った東北一の産地。6カ所あった選果場も、大規模な沿岸部2カ所が全壊した。
 新しい選果場は鉄骨平屋約3580平方メートルで東北最大の規模だ。町が震災復興事業として、国の交付金など約7億6600万円で整備した。
 検査を通過したイチゴは梱包(こんぽう)され、トレーラーやトラックで仙台と北海道の市場に運ばれる。
 亘理、山元両町には最新鋭の大型栽培ハウスを集約した「いちご団地」が7カ所整備された。今秋、約140戸が3年ぶりに営農を再開。自力再建した農家も含めると約220戸がイチゴ栽培に復帰した。
 今シーズンは来年6月まで2600トンを出荷する。震災前の7割に当たる。「仙台いちごの復活を待ってくれている方がたくさんいる。本当にうれしい」と岩佐さん。
 赤い実が、復興に向けた確かな歩みを感じさせてくれる。

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