「10年前、遺体を河川敷に埋めた」。大阪府富田林市で住民登録上は10歳の男児が、生後まもないころから行方不明になっていた事件。男児の祖母ら複数の親族が死体遺棄容疑について供述した。大阪府警捜査1課は男児が殺害された可能性も視野に、10カ月にわたり同市内の河川敷を捜索。刑事らは「必ず供養する」と誓い、泥にまみれて掘り起こしを続けたが結局遺体は見つからなかった。祖母らは不起訴になり、真相解明の道も閉ざされた。長期間にわたって居場所が確認できない「居所不明児童」の問題をクローズアップさせた今回の事件。戸籍の上の子供たちは、声なき声で何を訴えているのか。
■見落とされたシグナル
10年の長きにわたって、男児の失踪が表面化しなかったのはなぜか。問題はこの一点に尽きる。
男児は平成14年9月、富田林市で出生。同年12月に同府太子町へ転出し、17年5月まで同町に住民登録されていた。
行政が異変を察知し、対処する機会はあった。男児は4カ月と1歳6カ月の乳幼児健診を受診していなかったのだ。不審に思った保健師は家庭訪問もした。だが留守が続き、結局は会えずじまい。それ以上の追跡はしていなかった。
一方、男児の児童手当は家族からの申請で支給を継続していた。同町関係者は「役所内でうまく連携が取れていれば、もっと早く気付けていたかもしれない」と唇をかんだ。
男児はその後、富田林市に再転入。住民票では父方の曽祖母と同居していることになっていた。普通に暮らしていれば小学1年生になる21年、入学前の健診や説明会に男児や保護者の姿はなかった。このときも学校側が家庭訪問したが、誰とも接触できなかった。結局、男児は22年4月に学齢簿から除籍される。
いるはずの男児がいない。そのことには保健師や学校関係者も気づいていたはずだ。だが、そこで事件性を疑い、男児の安否確認を真剣に行った形跡はない。すべてうやむやに、時間だけが過ぎていった。
事態が動き出すのは23年8月になってから。曽祖母が同市にこう申告したからだ。「男児とは同居していない。住民票から外してほしい」。男児分の国民健康保険料の納付を曽祖母に求めたのがきっかけだった。
これを受け、同市は本格的な調査を開始。男児の実母は聞き取りに「生後1カ月半で、父方の祖母が連れて帰った」と回答。それっきり会っていない、との説明だった。一方の祖母は「知らない」と釈明した。市は事件に巻き込まれた可能性があると判断し、府警に通報。男児の行方不明はここに来て初めて、表面化することになる。
男児の家族をめぐる問題については、府警も以前から認識していた。出生直後の14年10月、祖母が母親から預かった男児を返さず、トラブルになったからだ。
母親から相談を受けた富田林署員は祖母に「返さなあかん」と注意していた。祖母が「分かった」と返答し、その後は母親から何も言ってこなかったため、同署は解決案件と判断していた。「このとき、もう少し突っ込んで捜査できていれば」と、ある捜査員は悔やんだ。
■見つからない遺体
府警は昨年4月、祖母ら親族4人を生活保護を不正受給した詐欺容疑で逮捕。男児の行方不明の真相についても本格的な捜査に乗り出し、男児の出生から約5カ月後の15年2月に同市西条町の河川敷に遺体を埋めたとの供述を引き出した。
捜索が始まったのは昨年7月。捜査員は連日、泥だらけになって作業を続けたが、男児の骨らしきものは見つからない。現場から骨や歯のようなものが見つかり、現場がわき立つこともあったが、鑑定してみると動物のものばかりだった。
現場が大きな府道に面していることもあり、捜索は通行人の好奇の目にもさらされた。
「何かの殺人事件らしいよ」
「行方不明になっている男の子の遺体を掘っているみたい」
ツイッターにこんな書き込みがあふれた。しかし、それも一時のこと。やがて事件のことは世間の話題にすら上らなくなった。
捜査員は黙々と河川敷を掘り続けたが、手がかりとなる物証は何一つ見つからないまま10カ月が過ぎた。
■捜索断念
一向に進展しない捜査に幹部の焦りも募った。遺体が捨てられたとされるのは10年も前。親族らの供述も二転三転して定まらない。そのたびに掘る場所の変更を迫られた。
また、遺体の損壊を恐れて重機をほとんど使わず、スコップでの掘り起こしを中心に作業を進めたため、捜査員の身体的負担も大きかった。
乳幼児の小さい骨は分解され、跡形もなくなってしまったのかもしれない。あるいは川の増水で流されたのか。疲労がピークに達した今年5月、府警はついに捜索の続行を断念。死体遺棄容疑については公訴時効(3年)が成立しているため、不起訴を前提としてこれまでの捜査内容を大阪地検堺支部に書類送検、8月に不起訴が決まった。
祖母らは男児の死因について「朝起きたら死んでいた。顔の近くにキャットフードが落ちていた」などと述べるにとどまっている。
男児の死亡の経緯が不明なため、今後証拠が見つかれば殺人容疑で事件化できる余地はある。だが捜査員は「遺体が出なかった以上、殺人で勝負するのは無理だろう」と厳しい見通しを打ち明けた。
事実上の捜査終結となった5月、捜索現場に花が手向けられた。
「こんな寒々しい場所に10年も、たった1人」
捜査幹部による無念の献花だった。
■976人の子供はどこに
今回の事件は1年以上居場所が分からず、就学実態の確認もできない「居所不明児童」の問題が注目されるきっかけにもなった。
居所不明児童の数は昨年5月時点で976人。複雑な家庭事情が確認の妨げになっている側面もあるが、自治体の調査がうやむやの状態で終わっているケースも散見される。
大阪市東住吉区では2月、住民登録された女児が行方不明になっていることが発覚し、大阪府警の捜査で出生直後に殺害されたことが明らかになった。
同区の職員は女児が乳幼児健診を未受診だったため通算10回にわたり自宅を訪問。女児とは一度も会えなかったが、父親が「妻と一緒に実家に帰っている」と返答したため、踏み込んだ調査をしていなかった。
大阪市の昨年度の居所不明児童は、政令市で2番目に多い59人。各区に家庭訪問の徹底を促しているが、改善の兆しは見えない。外国籍の親が離婚後、住民票を残して母国に連れ帰るケースも多く、確認は困難だという。
一方、徹底調査で居所不明児童の数を激減させたのが相模原市。表札や電気メーターを確認し、繰り返し訪問する方式を導入している。結局のところ、人員と労力をかけて地道に確認作業を続けるしか、居所不明を解消する手立てはない。