毎日の食卓を彩ってきた漬物が危機にひんしている。食品衛生法の改正に伴い、6月から漬物の販売に保健所の「営業許可」が必須になるためだ。厳しい衛生基準が求められ、生産者の多くを占める小規模事業者や個人事業者は設備投資をする余力はなく、廃業する事業者が続出する懸念が指摘される。地域ごとに多様な作り手に支えられた漬物文化はどこにいくのか。
「自分が作った漬物が売れればうれしい。生きがいの一つです」。農協が運営する直売所としては日本一の売り上げを誇る「伊都菜彩」(福岡県糸島市)の漬物コーナーには、ぬか漬けや福神漬け、キムチなど農家ら30人近くが出品する100品ほどの漬物が並ぶ。2月の開店前に、手作りの梅干しや大根の漬物を出品していた市内の70代女性はそう充実感を口にした。
だが、女性は6月以降は出品はやめるつもりだ。「1人でやっていて後継ぎもおらず設備投資までしようと思わない。同じように細々としている生産者で、続ける人は少ないのでは」と肩を落とす。漬物を目当てに訪れた市内の男性(70)は「作り手によって異なる『母の味』が楽しみ。食べられなくなるのはさみしい」と残念がった。
危機感を抱くJA糸島は3月、保健所の担当者を呼んで生産者向け講習会を開き、事業継続に必要な設備などを周知した。直販課の藤川秀則課長は「漬物は人気が高く、目当てに来る客も多い。現時点でどれくらいの生産者が継続するのか見通せないが、一人でも多く続けてほしい」と願う。
食品衛生法が改正されるきっかけとなったのが、2012年8月に発覚した、北海道であった集団食中毒だ。食品会社が製造した浅漬けで病原性大腸菌O157の感染が広がり、8人が死亡した。
それまでは、漬物の製造は各地の条例に基づく届け出制が多かったが、18年6月の法改正で保健所の許可が必要になった。21年6月の施行から3年間の経過措置が設けられていたが、5月末に期限が迫っている。
営業許可を得るには、国際基準の食品衛生管理手法「HACCP(ハサップ)」に沿った衛生管理が義務づけられ、加工施設と住宅の分離や、指を触れずに水を出せる蛇口の設置などが求められる。自宅で作ってきた生産者には、数十万〜100万円の持ち出しが必要となることもあるという。
影響は大きく、大根をくん製にした漬物「いぶりがっこ」の産地、秋田県横手市が23年に生産者らを対象にアンケートしたところ、回答した187人の4割が事業継続に否定的だった。
東京商工リサーチによると、野菜漬物メーカーの23年の休業や廃業は11件で、業歴40年以上だった業者は5割強に上った。情報部の後藤賢治氏は「老舗の小規模事業者は高齢で自宅で加工する場合が多い。一部は施設整備への投資を避けて廃業を決断したのではないか」とみる。
漬物のなかには、地域や家庭で独自の製法が脈々と受け継がれてきたものもある。日本三大秘境の一つに数えられる宮崎県椎葉村で数百枚のシソの葉を重ねて塩とみそに漬ける「シソの千枚漬け」もそうだ。家庭の保存食だったが、数年前から村のふるさと納税の返礼品になり村を代表する物産となった。
規制強化の波はここにも押し寄せている。村によると、生産している3事業者のうち、グループで製造する1事業者は既に営業許可を取得し製造を続ける予定だが、残りの2事業者は高齢の個人事業者で、うち一方は5月末で生産終了を決めた。もう一方は現在の加工所で許可が出なければ、設備改修の見積額次第で事業をやめるという。
村の担当者は「施設の改修費などの村の補助事業を生産者には伝えたがやめる意思を変えられなかった。高齢の個人事業者には数十万円の負担でも厳しい。生産量が減ることで村の文化が伝わる機会も減ってしまう」と不安を口にする。
支援に乗り出す自治体も出ている。秋田県では22年度から生産者の施設整備に最大1000万円の補助を実施。2年間で約130件の活用があった。福岡県では24年度から、漬物を製造する農家ら数人でグループをつくってもらい、共同で設備投資をしてもらうことを前提にグループあたり最大150万円を補助する。県の担当者は「共同作業の中で生産者同士がそれぞれの製法を伝え合うなどして、伝統の味を継承してもらいたい」と期待する。
漬物に詳しい東京家政大大学院の宮尾茂雄客員教授(食品微生物学)は「もともと個人の漬物製造業者は高齢者が多いため、後継者が少なく担い手が減っていた」と厳しい現状を指摘。「法改正をきっかけに一斉に判断をせまられ、やめていく引き金になった。自治体は補助や申請の手助けなど生産者に寄り添った支援で伝統的な食文化を守る後押しが必要だ」と語る。【田崎春菜】