インターネットにより誰もが放送局を持てる昨今だが、お隣韓国には、運転中のタクシードライバーが放送するちょっと変わった個人番組があり、ファンを集めている。
タクシー運転歴22年のイ・ソンジュさん(47)が手がけるネット番組『感性(カムソン)タクシー』は、一見すると実にシュールだ。画面には、走行中のタクシーから撮影されたソウルの夜の街並みが、淡々と映し出されるばかり。
一般的なラジオ放送のように、用意された話を絶え間なく続けることもない。ソンジュさんのちょっとしたつぶやきが時々はさまれる、静かな画面をじっと見ていると、自分がタクシードライバーになったような気になり、思わずひきこまれる。
やがてタクシーにお客さんが乗り込む。運転手とのやりとりや、携帯電話で通話する様子が、顔は見えないもののリアルタイムに放送され、見ているこちらは知らない人の生活をのぞいているような、ちょっと不思議な気持ちに。その乗客が車を降り、次は一体どんなお客さんが乗るのだろうと思うと気にかかり、なかなかウインドウを閉じることができない。
大変興味深くはあるものの、問題は起きたりしないのか。一体どのようにして成り立っているのか、ソウルに住むソンジュさんのもとを訪ね、お話を伺った。
まずは車両を拝見。「インターネットタクシー」とハングルで書かれた後部座席のドアを開けると、そこにはDIYで設置されたディスプレイとキーボードが設置されていた。乗客はこれを使って、自由にネットを楽しめるというわけだ。こんなタクシー、韓国でもさすがに見たことがない。
また番組放送中は、乗客もこのディスプレイから放送を観ることになる。同番組では視聴者たちが、画面を見ながらチャットを交わすことができるのだが、番組出演者である乗客も、このパソコンから視聴者とチャットをやりあうことができる。
「乗客の方には生放送中であることを伝えますが、だからといって嫌がる人はほとんどいません。変わってますね、と言って興味を示してくれる人が多いです」とソンジュさん。番組のことを知らなくても、面白がって自らチャットに参加する人も少なくないとか。もうこれは、好奇心旺盛で、ブログに自分の携帯番号を載せるのもOKな、韓国のお国柄がなせるものだと言っていいだろう。
ただ、もちろん、中には放送されることを警戒する人もいるが、国営テレビでも紹介された旨を話すと、納得してくれることが多いそう。視聴者が乗客に、チャット上で「安心してください」と説得することもあるとか。
運転手と乗客との閉じられた空間を視聴者に開放することで、一体どんなおもしろいことが起きるのだろう。
「カップルのうち女性だけがタクシーに乗ったんです。彼女が無事に家に着くか心配な彼氏と、車内の彼女が、番組を通じて会話することになりました。その時は許可を得て、ビデオカメラで女性の顔を放送し、テレビ電話のように話をしてもらったのですが、番組視聴者がチャットで横からうらやましがるわけです。最後に『愛してるよ』と言い女性は車を降りたのだけど、視聴者はたまらなくうらやましかったでしょう」。まさにリアルタイム放送ならではの、ほほえましいエピソードと言えよう。
視聴者と乗客が感性タクシーを通じて連絡を取りあうようになり、オフラインで出会うことも少なくないとか。また海外在住韓国人の視聴者も多く、懐かしいソウルの街を眺められるのがうれしいという感想も聞くそう。
ソンジュさんが感性タクシーを始めたのは2008年 5月のことだが、アイデアは10年以上前から温めていたという。
「今は誰もが情報消費者から情報生産者になれる時代。私だけが発信できる情報は何かと、まずは考えました」と話す彼は、番組を始める以前にも2冊の本を発表している。
「20年前、お客さんとの話にアイデアをもらってパソコンを始めるようになり、今ではパソコン修理店も兼業するまでになりました。お客さんやネットユーザーとの疎通を通じて、アイデアを生産し、実践する場にしたいんです」と、ソンジュさんは穏やかな口調で熱く語る。
番組は月に10回ほどのペースで、夜9時から深夜2時までの間、個人放送ポータルサイト「afreeca」を通して生放送されている。
なお、ソンジュさんのタクシーは電話予約などはできない。このITタクシーにどうしても乗ってみたいのなら、放送を観ながらタクシーの位置を確認し、空車時を狙って捕まえるしかない。実際にそうした視聴者もいるとのこと。
あなたが韓国を訪れ、後部座席にパソコンの置いてあるこんなタクシーに乗ったとしたら、それはソウルの全タクシー数である7万台分の1の幸運に出会ったということ。もし生放送中でも身構えることなく、パソコンの前の視聴者と遊んでみてほしい。
(清水2000)