ベトナム戦争に派遣された韓国軍による「民間人虐殺」の問題が、新たな展開を見せている。生き残ったベトナム人被害者が韓国政府を相手に国家賠償訴訟を起こしていたが、9月にソウル中央地裁はひとりの元韓国軍参戦兵を証人として採択。現地で一体、何が起きていたのかが、法廷で詳らかにされる可能性が高まってきた。実現すれば、司法の場で韓国軍の兵士が自らの所属部隊の「戦争犯罪」を告白するかたちとなる。一方で、証言台に立つ元軍人の身を案じる声もある。
1964~73年の10年間で、延べ32万人の兵士をベトナムに派遣した韓国軍による非人道的行為は、米国や韓国の民間団体による調査などが行なわれ、虐殺された民間人は9000人以上と推定されている(3万人以上とする説もある)。婦女子に対する性暴行なども多く、死者を含む被害者は30万人超とも言われている。
その中でも、凄惨を極める事件のひとつとして知られるのが、南ベトナムのクアンナム省フォンニ村・フォンニャット村で発生した民間人虐殺事件だ。冒頭で触れた国家賠償訴訟は、被害者のベトナム人女性、グエン・ティ・タンさんが原告となっている。
事件の発生は1968年2月12日。同村を通過中の韓国軍海兵隊「青龍部隊」が“ベトコンから攻撃を受けた”ことを口実に村を襲撃。無抵抗の村民70人あまりを次々に殺害した。この事件では、当時7歳だったタンさんらの証言によって、韓国兵が捉えた村民の手足をナイフで切断したり、婦女子や高齢者を集め銃殺後に火を放つなどの残虐行為があったことが明らかになっている。
原告のタンさんは目の前で母と弟を含む家族5人が殺害され、彼女も銃剣で襲われ瀕死の重傷を負った。一命はとりとめたものの、銃剣で抉られた脇腹には大きな傷跡が残り、今も後遺症に苦しめられている。
タンさんをサポートする弁護団は、2017年8月から韓国国家情報院(国情院)に対し、ベトナム民間人虐殺に関連する情報公開請求を行なってきた。国情院は詳細な情報の公開を頑なに拒否し続けているが、昨年4月、タンさんが韓国政府を相手取った国家賠償訴訟に踏み切ったことで、潮目が変わる。長年、この問題を追ってきたフォトジャーナリスト、村山康文氏が語る。
「時を同じくして、韓国では(ベトナム民間人虐殺の)真相究明に関する特別法制定の動きが活発化してきた。今年7月、韓国国会で行なわれた法制定のための懇談会には、ベトナム参戦兵のひとりが出席。フォンニ村・フォンニャット村での虐殺行為を詳細に語り、耳目を集めました。この元参戦兵が今度はタン氏が提起した訴訟で証言することになる見通しとなり、さらに注目を集めています」
この元参戦兵の出廷は、早ければ今年11月に開かれる国家賠償訴訟の口頭弁論で実現する見込みだが、懸念も多い。村山氏が続ける。
「保守団体や活動家、参戦軍人会による猛反発や妨害が懸念されます。過去にも、韓国軍のベトナムにおける所業を報じた新聞社が参戦軍人会の襲撃を受けたり、聞き取り取材に当たったジャーナリストへの脅迫事件が起きている。元参戦兵が証言台に立つことは、とても勇気のいることです」
2000年6月、韓国リベラル紙『ハンギョレ新聞』本社が、迷彩服姿の男2000名に包囲、襲撃される事件が発生した。「韓国軍ベトナム蛮行」の検証記事を掲載した同社発行の週刊誌に対する抗議活動だったが、暴徒化した一部が社屋に侵入、破壊行為や放火を行なった上に幹部を監禁、多くの負傷者を出す暴動に発展した。事件の中心にいたのは、ベトナム参戦軍人会「枯葉剤戦友会」メンバーだった。
「すでに参戦軍人の多くが高齢となり、近年、こうした過激な活動はなりを潜めるようになりました。だが、ベトナム戦争から半世紀が経ち、ネットに様々な情報が溢れる社会になっても、韓国軍の非人道的行為を話題にするのは“タブー”とする向きが多い。今回、証言する予定の元参戦兵が出廷要請を直前で拒否することも考えられます」(韓国紙記者)
韓国政府は昨秋の第1回口頭弁論で“虐殺の立証が不十分”“虐殺は韓国軍に扮した南ベトナム解放民族戦線が起こした可能性がある”などとし、国家賠償請求の棄却を求めた。韓国政府が史実とどう向き合うつもりなのかとともに、裁判の行方が注目される。