“韓国人離れ”の新大久保が昔以上に活況な理由

東京は世界で唯一のネパール人学校があるなど、今やさまざまな国と地域の人が暮らす多国籍都市だ。彼らが住む街ではどんな変化が起きているのか。外国人移住者がどんどん増える背景を、NHK取材班が追った——。(第2回/全3回)

※本稿は、NHK取材班『データでよみとく 外国人“依存”ニッポン』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■約180の国と地域の人が東京で暮らしている

東京23区には2019年1月時点で約46万5000人の外国人住民が住んでいる。これは日本に住む外国人の19パーセント程度にあたる。今回は東京都が公表している、各区に住む外国人を国籍別にまとめたデータを分析した。

すると、なんと全世界196の国と地域(日本を除く)のうち、9割を超える約180の国と地域の人が東京に住んでいることがわかった。住んでいない国籍は、サンマリノ、赤道ギニア、セントビンセント、キリバスなどいくつかの国のみ。ほぼ世界中を網羅しており、極めて多国籍な都市だったのだ。最も多いのは港区で137、最も少ない千代田区でも71の国と地域の人が住む。いかに世界中の人が東京23区に集まっているか、改めて驚かされる。

国籍別の人数だと中国が圧倒的な1位で2位が韓国、3位がベトナムと続く。皆さんのイメージとそう変わらないだろう。ただ、これを10年間の増加率で見直すと、意外な印象も受ける。1位のベトナムに続き、2位がブータン、そしてウズベキスタンやスリランカ、ネパールなどとなっているのだ。

■まるで「アラカワスタン」の東京都荒川区

取材班がまず注目したのは、増加率3位のウズベキスタン。中でも今、荒川区にウズベキスタン人が急増しているそうなのだ。2013年には20人だけだった区内在住のウズベキスタン人は今や228人と、10倍以上に増えている。2年前と比べても100人以上と急速な増加だ。

荒川区とウズベキスタン。そのつながりの一端がうかがえる場所があると聞いて訪ねたのは、西日暮里の谷中銀座だ。

昔ながらの商店街に何があるのかと疑いながら歩いていると、突如として現れたのはこの場所に不釣り合いとさえ感じる異国情緒満載のレストラン。

オーナーのアリさんはイラン出身。イラン料理やトルコ料理とともに、20年近く前からウズベキスタン人のアルバイトを雇ったことをきっかけにウズベキスタン料理を提供するようになった。当初はほとんどオーダーが入らなかったそうだが、ウズベキスタン人住民の増加とともに徐々に口コミで広まり人気が出てきたという。今では、多い日には30人ほどのウズベキスタン人が故郷の味を求めてやってくる。

■家賃は安いし、日本語学校へも通いやすい

その1人、ジュラバエフ・ジャスルベックさん(26歳)は、2017年4月に来日。荒川区内に住みながら、高田馬場にある日本語学校で日本語を学んでいる。

ジュラバエフさんによると、荒川区に住むウズベキスタン人の多くが、自身と同じように日本語学校に通う20~30代前半の男性とのこと。先に留学した先輩からの情報で住み始める人が多いそうだ。荒川区の家賃の安さや、日本語学校が多くある高田馬場や秋葉原へアクセスしやすいのがメリットで、同郷の人が多く住む安心感から知らず知らずのうちに集まってきているという。

妻、そして2歳と5歳の男の子を故郷に残して単身で留学しているジュラバエフさん。毎日のようにネットで通話するが「やっぱり1人はさみしい」とぽつり。それでも日本語学校を卒業後はIT関連の知識や技術を身につけて帰国したいと話し、「日本に留学するチャンスをくれた家族の生活を助けたいし、日本のテクノロジーを活用して社会の発展に役立ちたい」と語ってくれた。

■新宿区・新大久保のコリアンタウンに異変が

新たなコミュニティができている中で、意外な発見もある。東京のリトルタウンで最も有名と言える、新大久保のコリアンタウンが縮小しているとも見える数字があるのだ。

新大久保の位置する新宿区の国籍別人口を見てみると、2008年には1万4000人いた韓国・朝鮮籍の人が、10年間で3割近くも減っているのだ。

しかし、実際に新大久保を訪れるとかつてないほど活気があふれているように見える。平日にもかかわらず電車を降りる人で混雑し、駅の外に出るのも一苦労だ。

では、なぜ韓国・朝鮮籍の人たちが減っているのか。話を聞いたのは、新大久保で飲食店やグッズショップを経営する人たちでつくる「新宿韓国商人連合会」の事務総長を務める鄭宰旭さん。

鄭さんによると、まず契機となったのは2011年の東日本大震災だったという。さらに2012年以降、日韓関係が冷え込む中、新大久保ではヘイトスピーチのデモが相次ぐようになった。こうした中で災害や差別を避けたいと、1990年代に来日して店を開いた店主や留学生たちの多くが帰国したのだそうだ。

実際、韓国・朝鮮籍の住民は2011年からの1年間で大幅に減少。その後も2016年にかけて減少が続いている。

「店の数は4割も減り、客足も最も多い時と比べて2割余りにまでになりました。『怖い街』というイメージも広がって人が来なくなったんです。本当に寂しい状況でした」と語る鄭さん。そこで立ち上がったのが鄭さんのように新大久保で商店を経営する人たちだ。2014年に「新宿韓国商人連合会」を設立し、無料のシャトルバスの運行を始めた他、韓流の映画祭などのイベントも開催した。

■チーズダッカルビ、ハットグが10~20代に大ヒット

こうした努力に加えて日韓関係の改善も後押しして客足が戻ってきた中、街のにぎわいを一気に取り戻したのがチーズタッカルビ・ブームだ。

鄭さんは「ブームの影響は街そのものが変わるくらい大きかったです。客層も以前は韓流ブームの影響で50~60代が中心でしたが、今やすっかり若くなり10~20代が中心になりました」と語る。

その後も「ハットグ(=韓国風ホットドッグ)」などのヒットが続いた他、韓国の化粧品も人気を集めていて、今、新大久保はかつてないほど活性化しているのだ。

街にはさらなる変化も起きている。韓国・朝鮮籍の人が減ったところにネパールやベトナムの人たちが経営する店が入ってきているのだ。

データは新宿区の外国人住民の国籍別ランキングなので新大久保の住民だけではないが、多国籍化が急速に進んでいることが見てとれる。実際に新大久保を訪れると、韓国料理の店でも東南アジアや南アジア系の従業員が働く姿が。

鄭さんは次のように話してくれた。

「コリアンタウンというより、アジア各国の料理を楽しめる非常に面白い街になっていけばいいと思います。私たち韓国人が経験してきたことを先輩として教えながら、日本社会での多文化共生の先例をつくっていきたいと考えています」

■外国人があふれる上野の「アメ横」

上野の「アメ横」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。お正月に向けてマグロやカニ、数の子といった海産物を買い求める人たちでごった返している姿……と答える人が多いと思う。

ところが私たちは取材中に衝撃のひと言を聞いた。

「そういえば、いまのアメ横って、ほとんどが外国人らしいよ」

なにはともあれ、現場に行ってみないと始まらない。そんなわけで向かったアメ横は、平日の午前中から多くの人でにぎわっていた。けれど、どこか様子が違う。海産物を売る店が、なんだか少ないのだ。

「年の瀬に見るあの光景はどこに行ったのだろうか」

この疑問に答えてくれたのは、商店街の約400店舗をとりまとめる「アメ横商店街連合会」の千葉速人さん。革製品店を経営するかたわら連合会の副会長を務め、アメ横の移り変わりを一番近くで見てきた人だ。

「実は今や、商店街の40店ほどは外国人が経営するお店なんです。お客さんも、正確な統計は取っていませんが6割くらいが外国人。昔は中国人が多かったけど、最近ではベトナムとかの東南アジア、ヨーロッパからの人たちも多く来てくれています。昔から一定数はいたけれど、こんなに増えたのはここ5年くらいでしょうかね」

■たたんだ老舗店の跡地に続々と出店した

そう聞いて並んでいる店をよく見ると、ケバブにタピオカ、中国料理や韓国料理と、海産物どころか“日本っぽくない”お店が多くあることに気がついた。どうしてここまで外国人経営のお店が増えたのか。

千葉さんはこう答える。「昔から続いてきたお店の中には、後継者がいなくて店を続けられないところもありました。空き店舗にはしたくないと考えていたところ、外国人がそこに新しく店を開いてくれたんです」。

ちなみに千葉さんによると、海産物が並ぶ有名な光景は年末の一時期だけで、ふだんは全く別のものを売っているお店が、その時期だけ業態を変えるそうである。取材に応じてくれた靴店では、年末にカマボコを売るために、毎年、営業許可を取っているとのことだった。

この場所でケバブ店を経営する、トルコ出身のオスカルさんにも話を聞いた。

元々は海苔を売る店があった跡地に、4年前に店をオープンした。取材に訪れた時にはウズベキスタンからの留学生グループがボリュームたっぷりのケバブサンドを頬張っていた。かつては別の場所でも店を開いていたオスカルさんは、アメ横に店を開いた理由について、秋葉原や浅草、銀座といった観光地に近く外国人が集まりやすいこと、スパイスをはじめとする食材がそろいやすいことをあげた。

■客のほぼ100%が外国人という“ディープ”な店も

さらに“ディープ”な世界があると聞き、向かった先は商店街にあるビルの地下。「地下食品街」と書かれた看板をくぐると、そこには不思議な空間が広がっていた。

NHK取材班『データでよみとく 外国人“依存”ニッポン』(光文社新書)

見慣れない食材に外国語ばかりが書かれた値札。どうやって食べるのかわからない、生の肉や野菜、さらにはスパイスが複雑に混じり合った香りに、飛び交う外国語。階段を降りただけなのに、自分はどこか別の国に来てしまったのではないかという錯覚に陥る。

取材した店の1つは、中国やタイなどアジア圏のものを中心に、野菜や果物の他、調味料やお菓子、即席麺などを輸入し販売していた。開業当初は日本人向けの野菜や魚が中心で、海外から輸入した香辛料の販売は多くなかったそうだ。だが、少量でも海外産のものがあるという情報が口コミで日本に住む外国人の間に広まり、15年ほど前に、外国の食材を売る店へと業態を変更したそうだ。

今では客のほぼ100パーセントが、日本で暮らす外国人になった。品ぞろえも彼らのニーズに合うように工夫を重ねた結果、すべてが外国産、あるいは日本国内で生産された外国人向けの食材になった。

※データや人物の肩書き、年齢、取材現場の状況などはすべて取材時のものです。

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