日本の戦争責任を追及し続ける韓国にとっての棘と言えるのが、ベトナム戦争における韓国軍の戦争犯罪だ。この問題を初めて世に問うた韓国人記者に、新著『韓国人、韓国を叱る』で話題のジャーナリスト・赤石晋一郎氏が聞いた。
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「はたして日本人だけが悪いと言えるのでしょうか。韓国人も過去、ベトナム戦争で凄惨な行為をしていました。しかしその事実を、韓国社会はいまだに受け入れようとしないのです」
ベトナム戦争における韓国軍の虐殺問題を現地調査した韓国人ジャーナリストのク・スジョン氏はこう述べた。1999年5月、週刊誌『ハンギョレ21』において、彼女は調査結果を発表した。ベトナム戦争における韓国軍の犯罪を白日の下に晒したのだ。虐殺はわかっているだけで80余件、被害者は9000人以上に上る。
彼女の告発記事をきっかけにして、翌2000年4月の『ハンギョレ21』に、虐殺を行ったという元韓国軍人の証言が掲載された。さらに同時期、米誌『ニューズウィーク』がベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げ、ク・スジョン氏の調査も同誌に紹介された。
反応は激烈だった。2000年6月、同誌を発行するハンギョレ新聞社に韓国退役軍人ら2400人が集結。記事に対する抗議集会を開いたのだ。迷彩服に身を包んだ元軍人らが鉄パイプを振り回して社屋に乱入。パソコンや輪転機を次々に破壊し、書類や車に火を放ち、新聞社を機能停止に追い込んだ。威嚇行為は、ク・スジョン氏の周辺にも及んだ。
「ハンギョレ新聞が襲撃された日、母親からベトナムにいる私のもとに電話がありました。実家の前の通りの壁が、一面真っ赤に塗られ、玄関先には3つのドラム缶が置かれた、中身は塩酸だった、というのです。
私はベトナムにいたので直接危害を受けることはありませんでした。ただ、昼夜を問わず、携帯に脅迫電話がかかってくるようになりました。『日本の手先!』『共産主義者』『売国奴』『お前が女じゃなかったら大変なことになっていたぞ』という脅しもあった。
じつは記事を出す前から懸念する声はありました。韓国国内で日本軍の従軍慰安婦問題が問題視され始めたのは1990年代。戦後、50年近くが経過し、加害者も被害者も、それほど多くは生存していない時期になってからでした。ところがベトナム戦争は、1999年当時、まだ戦後30年弱しか経っておらず、現役の軍幹部がいて、退役軍人もまだ50代でした。記事を出すには時期尚早だと言われていたのです」
危惧された通りの強烈な反発によって彼女の「歴史を直視してほしい」という願いは裏切られ、皮肉にもその後「韓国軍によるベトナム虐殺問題」は韓国社会ではタブーとなってしまった。