先日、徳島の「阿波おどり」をめぐるバトルが世間の注目を集めた。
1000人以上が一斉に踊って、イベントのラストを飾る「総踊り」を、阿波おどり実行委員会の徳島市長が中止すると宣言。それに踊り手たちが猛反発の末、強行したのである。
総踊り自体はつつがなく行われたが、終わってみれば来場者数は昨年より15万人減の108万人。一部のメディアやジャーナリストは、事前に目玉である総踊りをやらないと触れ回ったことや、市と踊り手の対立が観光客の足が遠のかせたのでは、なんて分析されている。
ただ、個人的には、そのような総踊りバトルがあってもなくても、どちらにせよ今回の来場者数は大きく減少していたのではないかと思っている。根拠はズバリ、阿波おどりがもはや時代遅れといっても差し支えない「昭和の見物型観光」だからだ。
「なんじゃそりゃ?」という方のために説明しよう。これまで日本の観光は「祭り」だろうが「神社仏閣」や「史跡名勝」だろうが、基本的に以下のような理念のもとで進められてきた。
「よそ者のお前らにも特別に見学させてやるから、矢印に従って行儀よく見学しろよ」
そのような見学スポットの周囲に、宿ができて、観光物産店や飲食店が立ち並び、祝日や休日にマイカーや観光バスでわっと押し寄せる客たちがお金を落とす、この見学型観光こそが日本では長く当たり前とされてきた。
「有名連」の熟練の踊りを間近で見学できる有料桟敷席のチケット代が収益の柱となってきた阿波おどりは、まさにその代表的な存在といえよう。
●阿波踊り問題の正しい知識
そんな「昭和の見物型観光」が残念ながら今の時代に通用しなくなってきているのは、阿波おどりを見れば明らかだ。
実はワイドショーなどが総踊りをめぐって大騒ぎするはるか前から、この日本の夏を代表する祭りにはさまざまなケチがついていた。
2016年4月に就任した遠藤彰良市長は、阿波おどりの主催団体である徳島市観光協会に累積赤字が4億3000万円あることを問題視。今年はいよいよ補助金も打ち切り、破産手続きを申し立て、開催自体が危ぶまれていた。一方、『週刊現代』が6月に、観光協会とともに長年、主催社として名を連ねてきた徳島新聞社が、「チケットの買い占め」や「看板広告の利権独占」などのスキャンダルを報じていた。
そんな醜い争いに加えて、日本中の「祭り」が直面している大きな問題の影もちらつく。「高齢化」と「人口減少」だ。
マスコミは今回の騒動だけ切り取って減った減ったと大騒ぎしているが、実はずっと減っている。例えば、昨年は123万人の人手だったが、徳島市統計年報によれば10年前の07年は139万人だった。それが2年後には136万人となって近年は120万人代へ突入している。細かな増減はあっても減少傾向にあるのは明らかだ。
高齢化が急速に進むこれからの日本、特に地方経済では、ある時を境にさまざまなマーケットがフリーフォールのようにガクンと落ち込むとされる。猛暑で高齢者の出足も鈍るなかで、醜聞だらけのイベントが15万人の客からそっぽを向かれるのは、ある意味で当然な結果なのだ。
人口が減少して高齢化が進行する社会では当然、「見物人」も減っていく。それでなお「見物型観光」を継続するには、見物人や利権の奪い合いをするしかない。市側が今回、総踊りを中止をしたのは他の会場のチケットを売るためだ。徳島新聞社と観光協会の内紛も然りだが、このような利権争奪戦が勃発すること自体、阿波おどりが「昭和の見物型観光」であり、そのビジネスモデルが崩壊にさしかかっている証左なのだ。
●阿波踊りにはポテンシャルがある
ただ、ここで誤解をしてほしくないのは、阿波おどりそのものに問題があるというわけではないということだ。海外にも広く知れ渡るこの伝統芸能に、観光資源としての大きなポテンシャルがあることは疑いようがない。
それをよく示しているのが、阿波おどり会館の好調さだ。ここは年間を通して、阿波おどりを体験できる施設で、近年は外国人観光客も増加。03年には年間54万人だったが着々と客足を伸ばして、15年には61万人にもなっている。
つまり、阿波おどりに触れたい、知りたいという人たちは確実にいるし、その魅力は着々と外国人観光客にも広まっているにもかかわらず、お盆の時期に行われる阿波おどりは赤字続きで、主催者らが見物人や利権の奪い合いをしなくてはいけない、という奇妙な現象が起きているのだ。
なぜ阿波おどりのポテンシャルを、イベントになると生かすことができないかというと、いまだ「昭和の見物型観光」にゴリゴリに執着しているからだ。
繰り返しになるが、これは「祭り」や「神社仏閣」「史跡名勝」という「見学スポット」に一度ぶら下がることができれば、後は既得権益者となって甘い汁が吸い続けられるビジネスモデルだ。
「見学スポット」からいかに近くに店を構えるかとか、その名前を使った「ほにゃらら饅頭」みたいな商品やサービスができるかのがキモという、「海の家」にも通じる「便乗型ビジネス」と言ってもいい。
このように観光資源の周囲が潤う「見物型観光」のもとでは、観光資源そのものの価値を上げていくことは難しい。「客寄せパンダ」として存在してくれればいいだけなので極端な話、中身が腐って崩れそうであっても、「見物型観光」の恩恵を受ける人たちにはなんの問題もないからだ。
多くの観光客でにぎわっている国宝の寺や神社がボロボロで壊れたところも放置していたり、あるいは誰もが知るような風光明媚なスポットが全く整備されず荒れ放題になっていたり、というのはこれが理由だが、実はこれは阿波おどりにも当てはまる。
●「税金で食わせてもらうのが当たり前」の発想
徳島市の遠藤市長が委託した弁護士、公認会計士などから作る「阿波おどり事業特別会計の累積赤字の解消策等に関する調査団」の報告書を読むと、観光協会は昭和50年代から累積赤字を積み重ねてきたことが分かる。
徳島県と徳島市から補助金の交付を受けて「公益目的事業」として阿波おどり事業を進めてきたが、「収支均衡を考慮した議論や収支改善の方策や累積赤字の解消に向けた議論がなされた形跡がほとんど認められない」という。つまり、40年近く「税金で食わせてもらうのが当たり前」の発想でやってきたのである。
なぜこうなってしまうのかというと、観光協会の面々をみれば一目瞭然だ。
「行政、阿波おどり関係団体、宿泊業界団体、交通事業者、マスコミ、金融機関、商業関係団体の役員等」(報告書より)――。そう、阿波おどりという見学スポットにぶら下がって甘い汁を吸い続けられる既得権益者の皆さんである。
報告書ではこれらの人々に「当事者意識の希薄さ」が見られると指摘していたが、当事者意識を持てというほうが無理な話だ。彼らからすれば、累積赤字の解消や収支改善などどうでもいい。大切なのは、阿波おどりという「客寄せパンダ」にいかにうまくぶら下がって、自分たちの商いをうまく回すことのほうだからだ。
いくら何でも観光協会を悪く言い過ぎだと不快になる方もいらっしゃるかもしれないが、彼らが骨の髄まで「見学型観光」に毒されてしまっていたことは、過去の動きからも分かる。
本来、40年近く赤字続きのイベント運営なのだから、収支構造を抜本的に見直すような改革が必要なのだが、実行委員会はその逆をする。03年まで見物できる桟敷席は全席自由席だったが、この5分の3を高価格帯の指定席へと変更。それだけでは単に「値上げ」になってしまうので、「二部入れ替え制」を開始したのだ。
「これで、収容人員が約45%アップ、二千四百四十万円の増収が見込まれ、四億円に膨らんだ累積赤字は十年で解消できる試算」(読売新聞 2003年12月23日)
客数を増やすための努力ではなく、1人当たりの単価と収容人数の調整で乗り切ろうとする。ゴールデンウィークや夏休みという大型休暇に集中して、客をさばくことでもうけを得てきた「昭和の見物型観光」の典型的な考え方と言えよう。
●「昭和の見学型観光」から脱却する方法
では、どうすれば阿波おどりは客足を増やして、赤字を解消することができるのか。
国内の見物人が減少している以上、外国人観光客をこれまで以上に取り込まなくていけないのは言うまでもないが、そこでポイントとなるのが昨今言われている「体験型観光」だ。
皆さんも国内や海外を旅行したとき、ショッピングや食事だけではなく、ツアーやアクティビティに参加するだろう。その場所でしかできないさまざまな体験をしたいと考えるはずだ。
それは踊りのイベントならばなおさらだ。
もう随分前だが、筆者はリオのカーニバルに参加したことがある。もちろん、ツアーとしてお金を払ってでの参加だが、世界中からさまざまな国の人が、あの熱狂を体験しようと参加していた。日本が誇る阿波おどりももっとこの方向を打ち出してもいいのではないか。
もちろん、今も「にわか連」という一般参加の窓口はある。徳島市役所市民広場か元町おどり広場に集合すれば、観光客であっても演舞場で踊ることができるのだ。
ただ、これは全て「無料」なのだ。
先着250人に記念のハッピなどを貸し出ししていてそこで3000円取っているが、クリーニング代の500円だけを取っていて返却時に2500円を返すので、運営側にはお金は入らない。赤字続きのイベントにしては、随分と気前がよすぎないか。
観光客のことを考えて素晴らしいじゃないか。日本の伝統芸能に触れてもらうのに金を取るなんてできるか。そんな意見があるかもしれないが、無料というのは裏を返せば、阿波おどりというものには、たいした価値がないと言ってしまっていることに等しい。
阿波おどりという日本の誇る伝統芸能を、地元の人々と同じような衣装と、同じようなちゃんと指導を受けて、同じような舞台で踊ることができれば、それは一生の思い出になる。そのような価値に対して、お金を払う観光客は少なくないはずだ。
見物人はただ見るだけなので、できるだけタダがいい。だが、その土地の文化や伝統を実際に体験してみたい観光客は、その価値があるものにはちゃんとお金を払う。今の阿波おどりは残念ながら、見物人しか相手にしない。一般参加者も見物人に対する「お試しの無料サービス」だ。
お金を払ってでもリオのカーニバルに参加したい人が世界にはたくさんいるのに、それに負けていない阿波おどりの一般参加は、「スーパーの試食」と同じような扱いなのだ。
●昭和の価値観から脱せていない
こうなってしまうのは徳島が「観光とは見学である」という昭和の価値観から脱せていないからだ。
観光庁の宿泊旅行統計調査(主に従業員10人以上の施設が対象)で徳島県は延べ宿泊者数が10年以降、全国最下位でなかったのは14年だけだ。
また、その14年でも、県外から徳島を訪れた日本人観光客は684万3000人で、そのうち宿泊した人の割合は10.9%(74万3000人)。四国の他県の割合を見ると、香川が12.8%、愛媛が30.1%、高知が40.8%とダントツに低い。
そう聞くと、徳島をディスっているように聞こえるかもしれないがそうではなく、「もったいない」と言いたいのである。
実は徳島は阿波おどり以外にも、人形浄瑠璃など素晴らしい観光資源に恵まれている。そして、観光マインドも他県に比べて圧倒的に強かった。
あまり知られていないが、「阿波おどり=400年続く伝統芸能」というのは、今でいう観光ブランディング戦略によって生み出されたものだ。「阿波踊りというのは昭和のはじめ、土地の郷土史家が観光振興のためにつけた外向きの名前で、地元の中年以上の人々はいまでも盆踊りと言っている」(読売新聞 1971年8月9日)
徳島城の落成祝いで城主・蜂須賀公が行った無礼講の際の踊りが起源とされているが、「この話はどこの観光起源にもありがちな起源伝説で、実は蜂須賀氏の入封以前からあった行進式の盆踊り」(同紙)で、いまのように盛大になったのは戦後、徳島の涙ぐましいブランディングがあったからだ。
戦後まもない1957年には、宣伝カーや市バスを連ねた37人のキャラバンを京阪神や和歌山に派遣。全国に3000枚のポスターをばらまいて阿波おどりをPRした。結果、東京のキャバレーなどでも阿波おどりイベントが行われるようなブームにつながったのだ。
昭和の初め、四国は「観光未開の地」なんて揶揄(やゆ)されていた。それをひっくり返したのが、商魂たくましい阿波商人たちである。彼らは日本のどこにでもある「行進式の盆踊り」に「乱痴気騒ぎ」をミックスさせて、「阿波おどり」という唯一無二のブランドにまで押し上げたのである。
そういう意味では、阿波おどりとは観光で地域を活性化させたい徳島の人々の強い郷土愛が具現化したものと言ってもいいかもしれない。少なくとも、一部の人間たちがぶら下がって骨までしゃぶるような既得権益ではないはずだ。
徳島新聞社をはじめとする主催者の皆さんにはぜひとも先人の志を思い出していただきたい。