高齢者に住みよい久米島

久米島の経済人は売れ筋商品の開発にも意欲的だ。泡盛の久米仙、飲用黒酢、車エビ、あわび、見た目がキャビアに似た「海ぶどう」、海底深層水によるミネラルウオーターや健康補助食品などは既に久米島ブランドが定着している。また久米島では紫金鉱がとれる。紫金鉱は青磁器の原料で中国では門外不出になっている。この紫金鉱を用いて久米島町は「青磁の里」を作ろうとしている。

 久米島は東北楽天ゴールデンイーグルズのキャンプ地でもある。琉球銀行の調査では、この誘致の結果、初年の2005年度で宿泊・飲食7000万円、交通費2800万円、球場改修費2億4000万円など直接支出が計3億7600万円、波及効果が2億5400万円、合計6億3000万円の総合効果があった。さらに報道によるPR効果は宣伝費換算で27億円になる。これらも久米島の人々の知恵がもたらした収入である。

 前号でも紹介したが、久米島の政治・経済エリートは、構造的に過疎地になるという久米島の置かれた状況を冷静に認識した上で、循環型社会の構築を現実的に考えている。20~40代の若者が島を出ることはやむをえない。しかし、都会の生活で望郷の念が強まり、子供からも手が離れ、かつ隠居にはまだ早い50~60代の人々の活力を島に呼び戻そうとする。平良朝幸町長はこういう。

 「私も子供のころは毎日この島から抜け出して都会に行きたいと考えていた。しかし、島を離れて、少したつと、島のことばかりを考えるようになる。そして、50を過ぎて人生の先が見えてくるようになると、島に帰りたくなってどうしようもなくなる。私も50を過ぎて戻ってきたUターン組の一人だ。島出身者がいつでも戻れる環境をつくることが政治課題だ」。04年6月に海底深層水を湧かした「バーデンハウス(温泉療養館)」が開館した。久米島町の資料によれば、「ストレッチングをはじめ各種プログラムを取り入れて、町民の心と体の健康増進を図る」のが目的だという。久米島には施設が整った町立病院があり、重病や大けがの場合、沖縄本島への緊急移送体制も整えられている。これらはいずれも高齢者の定住を視野に入れた久米島の戦略なのである。

 過疎の島にもかかわらず、久米島の人々が故郷に対する思いを強く持ち、国家や行政に過度の期待をせず、自助努力を重視するのはなぜなのか。久米島独特の歴史観、教育観が影響を与えているというのが筆者の仮説だ。久米島出身の沖縄学の泰斗、仲原善忠(ぜんちゅう)(1890~1964)は、太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)前年の1940年に著作『久米島史話』でこう述べている。

 「私は若い時に、ある外国の小説を読んだが、その中に一人の青年が『我々の中から人物が出るでしょうか』と嘆いた一節があったが今でもその言葉は頭にこびりついている。もちろんその国から今は、科学・芸術・その他えらい人がドンドン出ている。私の考えでは久米島の人も頭脳の点では決して劣っていないと思う。努力次第では、どんな方面にも出られる資質を持っていると思う/しかしまたこんなにも考える。今の大人の人たちは、財産、つまりお金をもうけることは熱心に考えるが、子供をしっかり勉強させてやろうという考え方が昔ほど盛んかどうか。もし親たちがそうでなかったらどんな天才的な人でも今日では、その天分をのばすことはできない。子供が小学校に上がる前からこの子を立派な人間にしてやろうと言うまじめな考えを持ち、もしその子が学問ができるのでしたらどんな難儀をしても悔いないとの雄々しい考えを持っていなければならないと思う」(1978年『仲原善忠全集第三巻』沖縄タイムス社)。

 ここで仲原善忠が強調する教育の重要性は、いわゆる受験勉強の勧めではない。生きていくために必要な自分の頭で考えていく基礎力を家庭と学校の双方の教育でつけていくということだ。

 久米島町役場の入り口には仲原善忠の胸像が建っている。仲原善忠は故郷への愛を、学術的に優れた研究を残すことで示す一方、『久米島史話』のような一般書で、久米島のような小さな島が生き残る秘訣(ひけつ)は知恵しかないと強調した。今回、筆者は久米島の人々が新自由主義に対して「知恵の闘い」を挑み、勝利しつつある姿を目の当たりにした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました