高齢者ドライバーも事故が減らない3つの要因と対策とは?

2名の死亡者と8名の重軽傷者を出した池袋の交通事故。連日報道されている通り、運転していたのは、87歳の高齢者だ(本記事では、彼が逮捕されなかった件や、三宮のバス事故との比較は脇に寄せておく)。

 こうした「高齢者ドライバー」による大きな事故が起きる度に様々な議論がなされるものの、毎度これといった解決策が見出されぬまま立ち消えになる感が否めないが、高齢化一直線の日本において、同問題はもう「対策待ったなし」の状況にある。 ◆高齢者運転対策は機能しているのか?

 周知の通り、「高齢者ドライバー問題」は今に始まったことではない。

 中でも、昨年5月に神奈川県茅ケ崎市で起きた当時90歳の女性ドライバーによる死傷事故は、多くの高齢者ドライバーに免許返納を考えさせるきっかけになった。(参照:東京新聞)

 しかし、こうした「ドライバー卒業」の時期を意識する高齢者が増える一方、様々な理由や思いから、まだまだ運転をし続けたいとする高齢者も依然として多い。

 警視庁発表の「平成30年運転免許統計」によると、70歳以上の免許保有者は、全体の約13.7%に当たる約1,130万人。85歳以上だけでも、約61万人存在する(過去に「高齢者ドライバーが免許を返納しない理由」という記事を寄稿しているので、ご一読いただきたい)。

 そんな状況に対して、国は70歳から74歳のドライバーに「高齢者講習」、75歳以上には併せて「認知機能検査」を免許更新時に義務付け、後者においては結果次第では免許を取り消すなどの対策を取っている。

 が、これら「講習」や「検査」を経て免許を更新した高齢者でも、今回のような大きな事故を起こしているという現実に鑑みると、これらが事故のストッパーとして機能しているようには思えない。

 こうした現状を踏まえ、現行の講習や検査の内容を見ると、これらには大きく分けて2点見直す余地があると言える。 ◆認知機能検査、2つの改善案

1.認知機能検査の質問レベルを上げる

 現在の認知機能検査の内容は、今年は何年ですか、今何時ですか、などの「時間の見当識」と、時計の針を指示通り書き込む「時計描写」、そして、出された絵を記憶する「手がかり再生」などが主だ。

 確かにこうした単純な認知検査は「認知症の恐れがあるか否かの判断」にはなるかもしれない。が、ドライバーに求められるのは、「認知症じゃなければいい」というレベルではない。

 彼らが安全運転できることを証明するには、もっと交通ルールに寄った「瞬間的判断力」を問う設問を増やすべきだろう。

 余談だが、筆者の父親が病気の後遺症で「高次脳機能障害」であると診断された際に受けた認知機能テストも、日常生活に支障をきたすほどの記憶障害があった彼でも簡単に答えられるような質問ばかりで、彼の“レベル”を浮き彫りにするような問いはなかった。

 テスト後、「俺(の脳)はこんなレベルなのか」とひどく落ち込む姿に、「日本の認知機能を判断する検査の在り方は大丈夫なのか」と家族で訝しんだことを思い出す。

2.「実技試験」の導入

 高齢者が運転するにあたり、認知能力の低下と同じくらい怖いのが、先の「瞬間的判断力の低下」とそれに伴う「身体能力の低下」だ。

 現在、高齢者ドライバーの免許更新に必要なテストは、前出の「認知機能検査」だけで、実技試験はない。

 厳密に言うと、実技は「高齢者講習」の中に1時間ほど盛り込まれているのだが、それはあくまでも「指導」という位置付けで、認知機能検査のように「合否」があるわけではないため、どれほど下手な運転をしようとも免許は更新できてしまうのだ。

 今回事故を起こした池袋の高齢者ドライバーも、昨年事故を起こした茅ヶ崎市の高齢者ドライバーも、認知機能検査にはパスしたが両者ともに足が悪く、日常でも杖をついて歩いていたという。

 体の状態に応じた対策を取っていれば、障がい者でも運転はできるため、一概に「体が不自由=クルマが運転できない」とは言えないが、だからこそ実技試験は行われるべきであるし、変わりやすい高齢者の体調を考えると、頻度も1年に1度が目安とされる人間ドックと同じくらい定期的に実施されるべきではないだろうか。 ◆高齢者の運転スキルが低下する、もう一つの要因とは?

 高齢者の運転スキルが低下する要因には、これら認知機能や身体的機能の衰え他に、もう1つ大きなものがある。

「クルマの買い替え」だ。

 安全や地球環境のため、クルマは年々進化を遂げ、近い将来には自走し、空まで飛ぶようになるかもしれない。

 その直前段階にある「今のクルマ」には、ひと昔前には存在しなかった便利な機能が多数搭載されているが、高齢者ドライバーの場合、長年乗り続けたクルマからこれらに乗り換えると「情報・機能過多」となり、逆に扱いづらいと感じることがあるのだ。

 中でもよく聞くのが、「各ボタンの機能が覚えられない」、「音が静か過ぎてエンジンがかかっているのか分からない」、「バックモニターや警告音で運転に集中できない」といった声。個人的には、こうしたクルマの変化に順応できないくらいならば、クルマには乗り続けるべきではないと思うところだ。

 ちなみに、60代半ばになる筆者の母親は先月、新車を購入した。「最新のクルマ」を「人生最後のクルマ」にできる「最高のタイミング」だと感じたからだという。 ◆「車のない生活」の準備を家族で考える

 高齢者ドライバーの免許返納は、決して本人だけの問題ではない。彼らを取り巻く家族の日常にも大きく影響する。いわゆる「足問題」だ。

 今回のような大きな事故が起きるたび、本人に免許返納を促すものの、その後の「足役」にならねばならないことを考えると、本人の「まだ運転できる」に流されてしまう家族も多い。

 が、交通事故が有する「破滅力」を考えると、やはりどんなタイミングで免許を返納する・させるかは、家族間でしっかり話し合っておくべきであるし、本人の運転スキルがどれほどのものなのかも、家族で常に把握しておく必要がある。

 どちらにしても近い将来、運転できなくなる日が来るのであれば、「クルマのない生活」に慣れるためにも、そして憎き事故を起こさぬためにも、「その日」は1日でも早いほうがいい。

 各自治体による環境整備が充分だとは言えない現状ではあるが、その不便に目をつぶることは、運転中に目をつぶっていることと、もはや同義であると筆者は思う。

【橋本愛喜】

フリーライター。大学卒業間際に父親の経営する零細町工場へ入社。大型自動車免許を取得し、トラックで200社以上のモノづくりの現場へ足を運ぶ。日本語教育やセミナーを通じて得た60か国4,000人以上の外国人駐在員や留学生と交流をもつ。滞在していたニューヨークや韓国との文化的差異を元に執筆中。

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