40年前の恩返し ルイ・ヴィトンが宮城産カキ支援

フランスの高級ブランド、ルイ・ヴィトンが、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城のカキ養殖復活の支援に乗り出している。背景には、生ガキを愛する日仏の美食文化と、両国の養殖業者、研究者の40年以上にわたる交流があった。(黒沢綾子)
 リアス式海岸が続く三陸・舞根(もうね)湾(宮城県気仙沼市)。静かな海上には、新しい養殖いかだが30台以上浮かび、その下で幼いカキが育っている。
 「震災直後は海に生き物の姿がなかったけれど復活は早いね。小さなカキなら来春には食べられますよ」
 そう話すのは父の代からカキ養殖業を営む畠山重篤さん(68)。「豊かな漁場づくりには森、川、海の一貫した環境保全が重要」と訴え「森は海の恋人」をスローガンに漁民による植樹活動を先導してきたエッセイストでもある。
 大津波で経営する「水山(みずやま)養殖場」の施設は全壊、船もいかだも流失した。「この西舞根地区には家が52軒あったんですが、44軒が流された。廃業する養殖業者は全体の約3割にのぼりそうです」と説明する。
 震災から約1カ月後、畠山さんは意外な相手から支援の申し出を受けた。仏高級ブランド、ルイ・ヴィトン。「一瞬、なぜ?と思いました」と振り返る。
 ルイ・ヴィトンの社員らは東北の惨状を知り、四十数年前のエピソードを思い出していた。仏名産のブルターニュのカキがウイルス性の病気で壊滅状態に陥ったとき、窮地を救ったのが宮城県の北上川河口で生産された種カキ。昭和46年、仏に3360トン、金額で約7億5千万円の宮城種(みやぎだね)が輸出されたという。
 ルイ・ヴィトン家5代目当主、パトリック・ルイ・ヴィトンさん(60)もその経緯を「当然知っていましたよ。わが家は皆、カキが大好きでね」とうなずく。7月末に来日した際、畠山さんに「ルイ・ヴィトンと日本の絆(きずな)は強い。再起のお手伝いができて光栄です」と語りかけた。
 畠山さんは「日本人には世話をかけた相手にお返しをする義理人情がありますが、それは世界共通だった」。同社からの支援金は三陸の漁業復興とともに「森は海の恋人運動」の推進にも使われている。
 「生き物を扱う仕事は季節のサイクルで動く。政府の悠長な決定を待っていたら、1年を棒に振ってしまうところだった」と畠山さん。6月には例年通り、気仙沼湾に注ぐ大川上流の山で植樹祭が行われた。
 もともと「森は海の恋人運動」は25年前、畠山さんが仏のカキ事情を視察したことが発端だった。川が海に注ぎ込む汽水域を見て、生態系の豊かさに衝撃を受けたことが、赤潮による汚染に悩む故郷の海の再生のヒントになった。
 畠山さんは感謝の気持ちを込めパトリックさんに提案をした。「再来年の春、わが家に招待しますよ。震災前と同じようにおいしいカキを用意して…」。もちろん、申し出は快諾された。「愛用のナイフ持参でうかがいますよ!」

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