旧奥州街道の宿場町、東北最大の操車場を持つ工業地帯、仙台市民の食を支える青果市場。時代と共にさまざまな姿を見せてきた仙台市太白区長町地区が再び変容の時を迎えている。東日本大震災後、大規模マンションや大型商業施設の建設が相次ぎ、市南部の拠点として発展が続く。街の移ろいは住民の顔ぶれや暮らしにも影響を及ぼす。変わりゆく長町の姿を追った。(報道部・佐藤駿伍)
「ヨイショー、ヨイショー!」。2月上旬、仙台市太白区長町6丁目のあすと長町第2災害公営住宅の駐車場で、餅つきの威勢のいいかけ声が上がった。歓声に引きつけられ、近所の住民も集まった。
「クルミに、みそ入れっとおいしいんだよ」「私の家でもしようかな」。つきたての餅を味わいながら、あすと長町にある三つの災害公営住宅の住民ら約30人が会話に花を咲かせた。
<被災者らが流入>
餅つきは、NPO法人つながりデザインセンター・あすと長町(つなセン)が2016年11月に始めた「あすと食堂」の一環。食堂は三つの災害公営住宅を会場に月3回程度、入居者と地域住民、支援者が食事の準備や調理、会食を通じて交流する取り組みだ。
かつて広大な操車場だったあすと長町地区では商業施設に加え、住宅やマンションの建設が進む。東日本大震災後は災害公営住宅の集中立地で、もともと他の地域に住んでいた被災者らが流入した。
同地区の世帯数は1日現在、1197で、前年同期から483増えた。市内最大規模の28階建て全468戸の物件を含む計3棟のマンションが建設中で、20年までにさらに約1000世帯増える見込みだ。
市の住民基本台帳によると、同地区人口のうち0~39歳が56%を占め、区全体の41%を大きく上回る。地域とのつながりが希薄な若い世代や被災者ら新たな住民を、どうコミュニティーに迎え入れるかが課題になっている。
<進まぬ地域参画>
あすと食堂は、新旧住民が一緒に調理などをすることで地域への参画意識を高めてもらう狙いだが、道半ばだ。第2住宅の薄田栄一会長(65)は「広報紙を配布したり、あいさつがてら案内したりしているが、なかなか来てもらえない住民もいる」と肩を落とす。
あすと長町の一部を含む八本松地区町内会の佐藤勇副会長(77)は「マンション入居者で町内会に加入するのは、ごく一部」と明かす。地区では震災時、避難誘導や炊き出しなどで住民が支え合った。「震災を経たのに、顔の見える関係づくりが進まないことに歯がゆさもある」と続けた。
世代や生活スタイルの異なる住民をどう融合し、地域に溶け込んでもらうか。つなセン副代表の新井信幸東北工大准教授は別の地区の災害公営住宅で、子どもの学習支援を通じて親同士が交流を広げた例を指摘。「さまざまな声をくみ取って活動に反映させ、交流を促すしかない」と話す。