<訃報>柳宗理さん死去、96歳 工業デザイナーの草分け

日本のインダストリアル・デザイナーの草分けで、数多くの工業製品や家具のデザインを手掛けた柳宗理(やなぎ・そうり=本名・むねみち)さんが25日、死去した。96歳。
 東京生まれ。父は民芸運動の創始者で哲学者の柳宗悦(むねよし)。東京美術学校(現東京芸術大)で油絵を学んだが、建築家のル・コルビュジエに影響を受け、デザインに志望を変更。卒業後、調査のため来日したコルビュジエの協力者で仏人デザイナーのシャルロット・ペリアンの助手を務めた。その後、坂倉準三建築事務所に入所し、第二次世界大戦後に工業デザインを始めた。
 1952年、日本コロムビアのレコードプレーヤーで、毎日新聞社主催の第1回新日本工業デザインコンクール第1席入選。翌年、柳工業デザイン研究会を設立。57年にミラノ・トリエンナーレで鳥居に似た形の椅子「バタフライスツール」が金賞を獲得した。白磁を使用した食器をはじめ、家具や照明、オート三輪など幅広い製品をデザイン。合理的なモダニズムと伝統的な和の要素を融合させた「日常の美」を追求した。
 野毛山公園歩道橋(横浜市)や札幌冬季オリンピック聖火台のデザインも手掛けた。また、父が設立した日本民芸館(東京都目黒区)館長や日本民芸協会会長も務めた。81年紫綬褒章、02年文化功労者。07年、大規模な回顧展が東京国立近代美術館で開催された。

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